プロ野球PRESSBACK NUMBER
「お前ら野球できんようにさすぞ」乱闘で怒声、3000安打の天才…張本勲とは何者だったのか? 愛甲猛が目撃した“意外な素顔”「朝食後ホテルの部屋で…」
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2026/10/03 11:01
1981年に現役を引退した張本勲
〈愉快なわけはない。自分自身への不甲斐なさもあったが監督の起用法にも腹が立ったことは言うまでもない〉(前掲書)
チームの勝利は喜ばしいことだが、素直に祝福できない自分がいる――。張本はそんな己の心中を呪ったのだろうか。以降、言動に変化が見え始める。
愛甲が見た張本の“天才性”
4月12日の南海戦(大阪)でライトフェンス直撃のヒットを放つも、全力疾走を怠ったため、二塁に行けなかった。すると、「オレのミスだ。罰金を取ってくれ」と山内監督に直訴した。今季初の日本ハムとの3連戦を迎える前には、こう申し出たという。
ADVERTISEMENT
〈無理にDHを二、三番に置く必要はないですよ。一、二番の足わざを生かすんなら(ボクは)下位打線でも構いませんよ〉(81年4月23日付/日刊スポーツ)
1戦目「3番・DH」で4打数ノーヒットに終わると、2戦目は7番に降格される。2点を追う4回1死満塁で打席に立つと、闘志を燃やした。
〈オレがここで打てばムードはがらりと変わる。この打席にこの試合のすべてがかかっている〉(81年4月23日付/スポーツニッポン)
歴戦の勇士は、冷静さも兼ね備えていた。守備位置を一歩左に変えた内野陣の動きを察知し、外角へ狙いを定め、高橋正巳のシュートをレフト線へ弾き返した。張本の同点二塁打を皮切りに、庄司智久と弘田澄男にタイムリーが飛び出し、ロッテは逆転勝ちを収めた。
「晩年でしたけど、技術が凄かった。打撃練習を見ていると、ほとんどの球を芯で打ち返していました。張さんは、バットを1本しか持ってない。折れないから、必要ないんですよ。普通、試合では2本用意するのに、張さんはしなかった。落合さんも同じ。僕の知る限りでは、この2人だけです」
現役晩年、張本の変化
張本は、カッコ悪い姿も厭わなくなった。5月10日の南海戦(大阪)、2点を追う8回に先頭打者として登場するも、空振り三振に倒れる。しかし、これがパスボールとなり、一塁へ。振り逃げを機に、ロッテは1点差に詰め寄り、9回に逆転した。試合後、張本は記者陣を呼び止め、上機嫌に話した。
〈オーイ、ヒーローはオレだろ〉〈オレが機転を利かしていなければおそらく逆転は難しかったぜ〉(81年5月11日付/スポーツニッポン)
誰よりもヒットを欲した男が、記録上の三振にハシャいでいる。この頃、張本の心は「打撃へのプライド」と「チームへの忠誠」の狭間で揺れ動いていたのではないか。翌日の南海戦では1回無死1、2塁で犠牲バントを決めた。
唯我独尊に振る舞ってきた王将・張本勲は、何枚もある歩兵に成り下がっていた。
〈つづく〉
※名前、肩書きなどは当時

