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「お前ら野球できんようにさすぞ」乱闘で怒声、3000安打の天才…張本勲とは何者だったのか? 愛甲猛が目撃した“意外な素顔”「朝食後ホテルの部屋で…」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2026/10/03 11:01
1981年に現役を引退した張本勲
「バット振ってたんです。やっぱり、すごい努力しているんだなって。やらされる練習じゃなくて、自分でやる練習をしていたのだと思います。のちに、落合さんに『やらされてるうちはダメだ』と言われましたし、超一流選手はみんなそうなんでしょうね」
張本は不惑を超えても、1日300回の素振りを己に課していた。その努力が、西武との開幕戦で実る。「3番・DH」で出場すると、猛打賞に1号ソロと大爆発。ロッテは6回、有藤道世と落合博満の連続タイムリーで逆転し、村田兆治―倉持明のリレーで初戦を勝利で飾った。試合後、張本は川崎球場のロッカールームで用具メーカーの販売係に注文を出した。
〈バットのグリップを削ってくれ。微妙な違いが安打と凡打を分けることがある〉(81年4月5日付/日刊スポーツ)
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大活躍しても即座に切り替え、細部に注意を払う。そこに偉大な足跡の所以があった。
張本に代打の“大決断”…胸の内
張本は4歳の冬、右手の小指と薬指を大ヤケド。2つの指はくっ付いてしまい、自由が利かなくなった。そのため、バットのグリップエンドを薄くし、小指を引っ掛けていた。
「一度、トレーナー室で『俺の指はこうなっているから、すごいタコができちゃうんだ』と聞きました。ハンデを乗り越えるため、人の何倍も練習したんでしょうね」
開幕戦で猛打賞を放っても、山内監督はベテランの現状を冷静に見定めていた。2戦目、同点の9回裏にサヨナラのチャンスがやって来る。3番の張本が打席に向かおうとすると、指揮官が呼び止めた。唖然とする背番号10の横で、「代打・江島」が告げられた。
〈私のような3000本安打の記録男に代打を立てるなど、考えも及ばないだろう。よしんば、代打を立てるにしても、本人の了解を得て使うのが普通だが、山内さんは、何も考えずに代打を立てる人だった〉(2010年4月発行『ON論 リーダーの器量』)
江島はサヨナラタイムリーを放ち、ナインから手荒い祝福を受けた。背番号10の心傷は如何ばかりだったのか。
「張さんって、代打を出されると、家に帰っちゃうんですよ。今なら『造反』と叩かれるかもしれないけど、首脳陣も記者も何も言わない。当たり前の出来事として、みんな受け止めていました」
張本はユニホーム姿のまま、愛車のベンツに直行。川崎球場の大歓声を背に、哀しみと怒りを抱えたまま、世田谷の自宅へ向かった。

