博多の人・王貞治BACK NUMBER
「日本シリーズの日程、変えられないのか?」史上最大の決戦を前にダイエーの“大失態”で王貞治も激怒…「おたくが勝手にされたことでしょう」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2026/09/30 17:01
根本陸夫の悲願、「福岡ドームと東京ドームでON対決」が現実に近づいてきたとき、ありえない「大失態」が発覚する
福岡事業での有利子負債は約1200億円。ダイエー本体が抱えていた1兆2000億円の有利子負債のおよそ1割を占めていた。ドーム開業は1993年、ホテル開業は1995年だったが、こうした大型の設備投資を行った頃からダイエー本体の経営が大きく傾き始めていた。
1995年の阪神大震災で、基幹店でもあった神戸・三宮の5店舗が壊滅状態となる。土地を購入して店舗を建て、それを担保にまた新規出店を行うという「土地資本主義」の中内イズムで拡大してきたダイエーは、バブル経済の崩壊と阪神大震災の被害によって、手広く抱えていた「土地」が焦げ付き、経営難に陥っていたのだ。
大型投資をしたドームでも、開業当初から売上アップを目指しての大号令が飛んでいた。
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「10年先の予約も取れ。10年先でもどんどん売ってこい」
1994年頃には2000年の日程を売ってしまっていた
だから、2000年の「日本脳神経外科学会」は、瀬戸山によると「1994年頃には売ってしまっていた」という。学会側は10月24日からの3日間、福岡ドームの日程を押さえていた。
しかも1999年12月の時点で、ドームと学会側はスケジュールの最終確認を行っていたのだが、日本シリーズ期間中であることを見落としており、ドーム側が「開催OK」の返答をしていたのだ。ドームでブースや展示を出し、ホテルでも会議を実施したり、世界中から集まった医学関係者たちを宿泊させることになっている。
だから学会側も、世界中に日程や場所の通知を出している。もはや、学会の日程は動かすことができない。どうにもならなくなった正が、瀬戸山に泣きついてきたというわけだ。
「公式戦日程を組むときには、いろいろと日程を空けたわけやけど、シリーズは一切、頭に入れていなかったみたいなんです。1999年はうまい具合に何も入っていなかった。でも、2000年はもう売ってしまっていた。日本脳神経外科学会に今さらごめんなさい、キャンセル、ここはダメです、とは言えない、となったんです」
瀬戸山も困った。正との押し問答には、接点すら見いだせない。

