甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園に出るのは当たり前」史上唯一の“春夏連覇”公立高ナインはセンバツ優勝にも「あくまで淡々と…キャーキャー言われて少し天狗だったかも」
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/26 17:01
1979年春のセンバツ、箕島は牛島和彦を擁する浪商を破って優勝。石井毅とキャッチャー嶋田宗彦は抱き合って喜ぶ
4月7日の決勝戦。4連投となった牛島、3連投の石井はともに疲労の色が濃かった。箕島打線が牛島をとらえて、5回までに4対1とリード。6回に浪商が3点、7回に2点を奪って逆転(5対6)。7回裏に箕島が再び逆転。両校が13本のヒットを打つ打撃戦を制して、箕島が3度目のセンバツ優勝を決めた。
「決勝はどっちが優勝してもおかしくない試合でした。高校入学前、甲子園球場のアルプススタンドで箕島の優勝を見て、『あのマウンドに立ちたい』と思いましたが、自分たちも優勝できたことはうれしかったですね」
エースとしてはふがいないピッチングだったが、仲間のことを頼もしく思えた試合だった。
ADVERTISEMENT
「北野がサイクルヒットを打って、暴れ回ってくれました。あの試合、僕は打たれまくって、抑えたという印象がありません。投げている場面よりも、みんなが打ってくれた場面ばかり覚えています。牛島も疲れていたんでしょうけど、両校のバッターが素晴らしかったんだと思います」
キャーキャー言われて天狗になっていた?
大会後、1977年に逃した春夏連覇へのプレッシャーがチームにのしかかった。
「新聞記者の人たちがそういうことを書き始めるので、意識するところはあったと思います。全国で好成績を残して黄金時代が来たという評価もありましたけど、『夏には勝てない箕島』とも言われました」
注目度が増しても、選手たちにも尾藤監督にもあまり変化はなかった。
「基本的に、どこと対戦しても負けるような感じはしませんでした。招待試合もたくさんしましたけど、あくまで淡々と練習して、戦ってという感じ。別に『夏も勝たないと』と強く思った記憶はありませんね。甲子園に行くのが当たり前。勝って当然という感覚でいましたね。
ただ振り返ると、どこに行っても『箕島や!』とキャーキャー言われ、天狗になっていた部分はあったんじゃないかと思います」
それまでに甲子園で春夏連覇を果たしたのは、1962年の作新学院(栃木)と1966年の中京商(愛知)2校だけ。
公立高校で偉業を達成したところはなかった。
〈つづく〉

