甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園に出るのは当たり前」史上唯一の“春夏連覇”公立高ナインはセンバツ優勝にも「あくまで淡々と…キャーキャー言われて少し天狗だったかも」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/26 17:01
1979年春のセンバツ、箕島は牛島和彦を擁する浪商を破って優勝。石井毅とキャッチャー嶋田宗彦は抱き合って喜ぶ
「出場枠を考えれば、ベスト4に入ればセンバツ出場は大丈夫ということでした。近畿からはPL学園(大阪)、浪商、天理、東洋大姫路(兵庫)など強豪ばかり。センバツは、この中のどこかが優勝するんじゃないかと言われるくらいでした」
甲子園に出るのは当たり前
箕島の選手たちは「次こそは全国制覇!」と考えていたはずだが、気負いはなかった。
「甲子園に出るのは当たり前。和歌山大会でも近畿大会でも、意識することはなかった。みんな、淡々と戦っていましたね」
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先輩たちから勝者のメンタリティが受け継がれていたのだろう。指揮をとるのが全国優勝経験のある尾藤公監督であれば自然とそうなるのかもしれない。支援する学校関係者やファンも「勝って当たり前」と考えていたはずだ。
1年生、2年生の時から上級生を向こうに回して戦ってきた石井や嶋田などレギュラーからすれば、強豪といえども、新チームのメンバーは恐るるに足らずだった。
「入学する前のセンバツで日本一、2年春がベスト4、夏がベスト16じゃないですか。新チームの実力ではないんだけど、相手が箕島のユニフォームを見るだけで意識しているのがわかる。こちらがミスさえしなければ勝てる——そんな感覚でした」
1979年春のセンバツ。箕島は2回戦で下関商業(山口)に10対4で勝利、準々決勝で倉吉北(鳥取)を5対1で下した。
準決勝まで勝ち上がったのは本当に、箕島、PL学園、東洋大姫路、浪商という、近畿勢の4校だった。
PL学園と激突した箕島は1対3とリードされた9回裏に同点に追いつき、10回裏にサヨナラ勝ちで決勝進出を決めた。
「前の年にベスト4まで勝ち上がって、『あと2勝で優勝できる』という雰囲気になってから負けたことがいい薬になったと思います。まわりの人はいろいろ言うけど、準決勝に勝つことの大変さは自分たちがわかっていましたから」
牛島和彦を擁する浪商と決勝で激突
決勝の相手は近畿大会で敗れた浪商だった。
浪商は1回戦で愛知(愛知)に6対1で圧勝。4月4日、2回戦で高知商(高知)を3対2で下した。翌5日に行われた準々決勝は川之江(愛媛)と戦い、延長13回の激闘の末に4対3で勝利した。
翌6日、東洋大姫路との準決勝も接戦になった。7回までは3対3、8回表に浪商が2点を取って突き放した。浪商のエース・牛島和彦(中日ドラゴンズなど)はここまでの4試合、40イニングをひとりで投げていた。

