博多の人・王貞治BACK NUMBER
「もしもし、王です」「どちらにお掛けですか?」“優勝請負人”にホークス王貞治からまさかの電話…そして野村克也が「考え直せ!」と言ったワケ
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/06 11:04
尾花高夫(左)の家の電話を鳴らしたのは王(右)だった。その真意と、野村克也との関係とは
「あの時は、投手陣の整備が最大の課題だったんだ。僕は、投手に関しては専門家じゃないからね。尾花君のことは、新聞やテレビで彼の言っていることとか、ロッテとヤクルトでの投手コーチとしての実績とかを調べたんだ。選手に対してきっちりとモノを言えるし、勉強もしていたんだよ。だから、任せられると思ったんだ」
王が監督に就任してからの4年間、チーム防御率はいずれも4点台。南海時代から続いていた20年連続Bクラスを止め、勝率5割ちょうどで3位タイとなった1998年も、チーム防御率は「4.02」のリーグ4位だった。
また「打」のイメージが強かったのがダイエーだが、当時は日本で最も広い本拠地と言われた福岡ドームゆえに、1998年のチーム本塁打100はリーグ最下位、チーム打率.264もリーグ5位。決して、打撃成績の指標が優れていたわけでもなかった。つまり“広いドーム”では、打ち勝つのではなく、守り勝つ野球を徹底しなければならない。
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そのために王は、尾花の“頭脳”に白羽の矢を立てたのだ。
内心ではガッツポーズしながら……
王からのオファーに、内心では「ガッツポーズしたけどね」と振り返った尾花だが、その場で即、受諾の返事をしていない。
「ありがたいことですけど、一度、お話ししてからでも遅くないんじゃないですか? 監督の野球観は分からないですし、監督も僕の野球観は分からないじゃないですか」
その時の初めてのやり取りを思い返しながら、尾花はつぶやいた。
「こんなこと、言うやつもおらんやろな」
世界の王に、ですよね?
「そうそうそう。でも、やっぱり大事だと思うんだよね。野球観が違うと、一緒にはやれない。必ず問題が起こるんです。そういうのをやっぱり知りたかったので」
尾花の提案を受け、秋季キャンプで高知に滞在していた王は「2日後にキャンプが休みになるから、僕が東京に行くよ」と自ら、知り合いが経営する東京都内のレストランを“就任要請の場”としてセッティングした。

