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「ワンチャン、ないかな」W杯落選をテレビで知り…Jリーグ666戦出場も“日本代表はゼロ”GKが語る川口能活、楢崎正剛との差と「同い年の曽ケ端準が」
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生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/06/11 11:02
いわゆる「黄金世代」のGKとして名をはせた南雄太。しかし日本代表では川口能活と楢崎正剛という壁があった
各年代の代表で切磋琢磨してきた同学年のライバル、曽ケ端準だ。ワールドユースでバックアッパーに回った彼は、日韓W杯でメンバー入りし、2004年のアテネ五輪ではオーバーエイジ枠で起用された。鹿島アントラーズのゴールマウスに立ち、数々のタイトルも獲得している。
「同い年の曽ケ端はずっとライバルで、代表でも一緒にやってきました。彼が鹿島で何度も優勝する姿を見て、自分がなかなか結果を出せない時期もいい刺激をもらっていたし、それが自分のモチベーションになっていました。当時もいまもめちゃくちゃ仲がいいんですよ」
A代表からは遠ざかったが、その後も柏で長く正GKとしてプレーを続けた。だが、当時はプロとしての意識がどこか欠落していたと語る。
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「いま思えば、若い頃は努力を全然していなかったんですよ。練習の30分前にクラブハウスへ来て、着替えてパッと練習をこなし、終わったらすぐに帰る。それでもなんとなく上手くいっちゃってた部分もあって」
30歳の節目で訪れた“戦力外”
その状況が大きく変わったのは、30歳を目前にした頃だった。2008年、南は注目の若手GK菅野孝憲にレギュラーの座を奪われたのだ。そこから約2年間、ほとんど試合に出られない日々が続いた。
ポジションを失った当初は「監督が使ってくれない」「自分と菅野のプレースタイルが違うから」と環境のせいにして逃げていたという。しかし、監督やGKコーチが替わっても、ピッチに立つのは常に菅野だった。
「そこでようやく、『シンプルに自分が下手だから、実力が足りないから出られないんだ』と自分に矢印を向けることができたんです。その思考になるまでに、ものすごく時間がかかりましたけど」
自らの実力不足を認めたことが、のちの転機となる。だが、その時にはすでに遅かった。30歳という節目の年に、南は柏から契約満了を告げられたのである。
「レイソルでクビを切られた時、これでオファーがなければ、サッカー選手じゃなくなるかもしれないという危機感を人生で初めて抱きました」
すべてを失いかけた男は、なぜそこから這い上がり、44歳まで現役を続けることができたのか。〈つづきは下の【関連記事】へ〉

