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「ワンチャン、ないかな」W杯落選をテレビで知り…Jリーグ666戦出場も“日本代表はゼロ”GKが語る川口能活、楢崎正剛との差と「同い年の曽ケ端準が」
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生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/06/11 11:02
いわゆる「黄金世代」のGKとして名をはせた南雄太。しかし日本代表では川口能活と楢崎正剛という壁があった
U-20日本代表を決勝へ導いたのは、A代表のフィリップ・トルシエ。兼任監督は、すでにA代表入りしていた小野伸二のみならず、稲本潤一や中田浩二ら、南と同世代の仲間たちを次々と上のカテゴリーへ引き上げていた。
「あの頃はA代表をものすごく近くに感じていました。実際、候補合宿には何回も呼んでもらいましたし」
だが、その先で彼を待ち受けていたのは、日本サッカー史に名を刻む2人の守護神だった。川口能活と楢崎正剛である。
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「シドニー五輪の直前、オーバーエイジ枠で楢崎さんが合流してきた時はレベルの差を強烈に感じました。2人で一緒に練習をして、これは実力がまったく違うなと。それでいて年齢もあまり変わらない」
「ワンチャン、名前ないかな?」W杯落選
GK同士であれば、力量差は練習の中ですぐにわかるという。
「正面キャッチだけを見ても、基本的な技術のレベルが完全に違いました。フィールドの選手がパス交換で“止める蹴る”の差を感じるように、キーパー同士ならすぐわかります。『これは勝てないな』と。それに単純な話、シュート練習で止める本数が圧倒的に多いんです。ほとんど入りませんから」
一方で川口に圧倒されたのは、その身体能力だった。
「初めて一緒にプレーした時、全身がバネ、まるでカエルのようにピョンピョン跳ぶさまに驚きました。身長はそこまで大きくないのに守備範囲が広くて、シュートに対する反応や寄せるスピードがひとつ抜けた存在でした。身体能力が尋常じゃなかったです。それに若い頃の能活さんは本当に尖っていました。GKチームの仲間でありながら、ライバルとしての空気を強く感じさせる方でしたね」
楢崎が加わった2000年シドニー五輪で南は最終メンバーから落選した。それでも2001年にはA代表に招集され、自国開催となった2002年日韓W杯を迎える。大会直前の代表合宿にも参加していた彼は、運命のメンバー発表の瞬間をテレビの前で迎えていた。
「序列的には4番目だったので、まず選ばれない。でもやっぱりちょっと期待するじゃないですか。ドラフトを待つ野球部の高校生みたいに『ワンチャン、名前ないかな?』って。後にも先にもドキドキしながら発表を見たのは、あの2002年だけでした」
しかし、南の名前が呼ばれることはなかった。その後のジーコ体制では一度も招集されることはなく、A代表との距離は開いていった。
同い年のライバル曽ケ端…今も仲良しなんです
それでも、南の競争心を刺激し続けた存在がいる。

