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「ワンチャン、ないかな」W杯落選をテレビで知り…Jリーグ666戦出場も“日本代表はゼロ”GKが語る川口能活、楢崎正剛との差と「同い年の曽ケ端準が」
posted2026/06/11 11:02
いわゆる「黄金世代」のGKとして名をはせた南雄太。しかし日本代表では川口能活と楢崎正剛という壁があった
text by

生島洋介Yosuke Ikushima
photograph by
Kiichi Matsumoto
第4GK→選手権優勝→ワールドユース準V守護神に
ゴールキーパーとして歴代最多のJリーグ通算666試合出場を果たした南雄太は、2000~2010年代を代表する日本人GKである。無名から一気に世代別代表へと駆け上がり、44歳まで現役を続けた一方で、日本代表のAマッチ出場試合数は「0」だった。そのサッカー人生を本人の言葉とともに紐解くと、GKというポジションの難しさが見えてくる。
中学時代は、読売クラブ(現・東京ヴェルディ)のジュニアユースに所属していたが、1年時の身長は158cmほど。GK4人の中で4番手という扱いで、公式戦の出場経験はほとんどなかった。「サッカーが全然面白くなくて、中3の時はバスケばっかりやっていました」と振り返るように、当時はエリート街道とは無縁の場所にいた。
しかし、中学の3年間で身長は20cm以上伸び、180cmに達する。ユースには上がれなかったが、静岡学園へ進学し憧れていた高校サッカー界に入ると転機が訪れた。静学には当時としては珍しいブラジル人GKコーチが在籍しており、専門的な指導を受ける幸運に恵まれたのだ。
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そこから南のキャリアは、一気に開けていく。まったく無名だった少年が、高校1年でいきなり高校サッカー選手権優勝。高校2年の終わりには、飛び級で1997年ワールドユース(現U-20W杯)の代表メンバーに選出された。卒業後は加入した柏レイソルで西野朗監督に抜擢され、1年目からレギュラーの座を得る運もあった。直前のレギュレーション変更で2度目の出場がかなった1999年のワールドユースでは、「黄金世代」の一員として準優勝に貢献。翌年に迫ったシドニー五輪の代表候補にも継続して名を連ねた。
「ヴェルディの同期にしたら考えられないことだし、自分自身が一番驚いていました。いろんな環境の変化に、自分の中身が全く追いついていなかったですね。だいぶ有頂天になって、勘違いしていた部分もありました」
近く感じたA代表…しかし待ち受けていた川口と楢崎
チームで4番手だった中学時代から、瞬く間に同年代のトップにまで駆け上がった南。当時の彼には、A代表もけっして手の届かない存在ではなかった。

