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「あの高知の女に電話したら?」“余命1年”壮絶闘病中にまさかの不倫…“奇跡のリリーバー”の妻が別れを覚悟した日「いや、別にそんなつもりは…」
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/05/30 11:23
引退後は病との闘いが続いた盛田幸妃。それでも夜遊びをやめることはなかった
2014年10月、盛田は余命について担当医師に率直な質問をぶつけていた。
「自分のことはすべて知りたいので。実際、あとどのくらいですか」
同年3月の時点で医師は倫子と盛田の姉を呼び、「余命は1年」と宣告していた。そのため一瞬ためらうが、盛田の迫力に押されて口を開く。
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「あと2年くらいだと思って頑張っていきましょう」
「えー、2年もあるんですか。僕、好きなこと全部やらせてもらったんで2年は無理っすよ」
相も変わらずの盛田節で応答する。悲壮感を漂わせないようにする盛田の優しさだった。
その後、盛田は横浜の自宅での療養を選択し、病院へ行くとき以外はほとんど外へ出なかった。車椅子で外出することは可能だったが、「こんな姿を人に見られたくない」と言い、自分の美学を頑なに守った。
家族に囲まれて迎えた最期
2015年3月から、自宅でほぼ寝たきりとなった。
転移している箇所に強い痛みが走るため鎮痛作用のあるテープを貼る。副作用で意識が朦朧として、おかしなことを口走る。耐え難い痛みと動けない苦しみに嫌気がさした盛田は、「こんなんだったら早く殺してくれ」と何度も倫子にぶつけた。
毎週2回のマッサージの間は心が安らいだ。気の合う先生を呼んで、自宅でマッサージをしてもらうのが盛田の楽しみのひとつだった。
2015年10月15日。その日も午後からマッサージを受けるはずだった。
「い、痛っ……」
言葉にならないほどの腹痛でもがき苦しみ、盛田の呼吸が乱れる。急いで酸素吸引をしても正常な状態に戻らず苦悶の表情を続け、やがて意識が混濁する。倫子はすぐさま医師を呼んだものの、「このままだと思いますので、身内の方を呼んでください」と沈痛な面持ちで告げられた。
夕方、北海道から両親が急いで駆けつけた。家に入るとすぐさま父親がベッドで横たわる盛田に必死の形相で「幸妃! 幸妃!」と呼びかける。すると今まで意識がなく土色だった顔に生気が戻り、ゆっくりと目を開けた。そして倫子の手をしっかり握り返した。意識が戻ったのだ。
盛田の不屈の魂が自身を呼び戻した。それから一晩、意識がある状態のまま過ごし、翌10月16日午前8時3分。倫子、両親、二人の姉、姪っ子、甥っ子と、大好きな家族に囲まれながら、盛田幸妃は永久の眠りについた。
<続く>

