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将棋PRESSBACK NUMBER
「羽生善治が元日本代表FWと柏レイソルユニ姿」「志村けんvs米長邦雄の記念対局」“棋士と二刀流”元編集長が明かす将棋専門誌製作の舞台ウラ
text by

田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKiichi Matsumoto/NumberWeb
posted2026/05/03 06:00
将棋界のトップランナーであり続けた羽生善治。『将棋世界』の表紙でも珍しい2ショット姿などが掲載されてきた
編集長の任期は2年。その期間に誌面を充実させて、販売部数をいかに伸ばすかが命題だった。私はデスクにいるだけでなく、取材現場に行ったり記事を書いたりして、陣頭指揮を取った。
校了日が近くなると、業務は深夜に及んだ。翌日が順位戦の対局のとき、中央線・千駄ヶ谷駅発の最終(0時50分頃)で自宅に帰ったこともあった。ただ気が張っていたせいか、良い内容で指して勝てた。
2003年に発行された暴露誌『噂の真相』に、《田丸編集長になってから、将棋世界は部数が落ちて大変みたいだ。部員がやる気をなくしていて、編集長が会議で一人で話し、記事を書いているみたいだ》という記事が載った。
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私はそれを見て笑ってしまった。おおむね事実だからだ。それにしても、内部の会議の様子がどうして伝わったのか不思議だった。
志村けんvs米長…江川卓、川淵三郎もゲストに
編集長の任期が迫っていた2003年1月号から、「米長邦雄永世棋聖の円熟対談」という連載企画を立てた。将棋を愛好する川淵三郎(日本サッカー協会キャプテン)、江川卓(野球評論家)、志村けん(タレント)らがゲストに登場した。
中でも志村は、楽屋でドリフターズの面々と将棋を指したり、バカ殿の番組で将棋の駒をギャグに使ったりして、将棋の話題が豊富だった。米長に平手で挑んだ記念対局では中盤まで有利に指した。
2年あまりの『将棋世界』編集長の日々は大変だった。しかし、棋士は対局で1対1の戦いだが、スタッフと共同作業で雑誌を作り上げる編集の仕事は、私にとって得難い経験となった。そんな『将棋世界』の変遷を、後編でもたどっていく。〈つづきは下の【関連記事】へ〉

