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中日コーチが激怒「星野、監督に謝れ!」“巨人軍に裏切られた男”星野仙一、生意気なルーキー伝説「巨人のベテラン捕手に死球をぶつけた日」
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2026/04/20 11:04
1969年に明治大から中日に入団した星野仙一(写真は1971年キャンプで)
「“強心臓の持主”とか“心臓で投げる男”とかいうけど、ほんとうの自分はべつに気は強くないんだ。逆に弱いんじゃないかな。だからそういうマスコミがつけたニックネームは好きじゃないんだよ。ただ勝負の世界に生きる者がいつもシッポ巻いて弱気な面を見せてばかりいたら、それこそ一発で突き落とされてしまうと思うんだな」(『週刊ベースボール』1969年8月11日号)
だからこそ、いつも「強気でいけ」と自分に言い聞かせてマウンドに上がり続けた。星野のプロ1年目は、49試合(先発16)で8勝9敗、防御率3.11。187回3分の2を投げて、規定投球回にも到達した。
10月10日の巨人戦では、金田正一が通算400勝を達成するが、この記念すべき一戦の中日先発はルーキー星野である。ペナント終盤の広島戦では打球が右手甲を直撃するアクシデントにも見舞われ、二桁勝利には届かず、新人王は22本塁打を放った田淵が受賞している。中日は4位に終わり、2年連続のBクラス。強い巨人が5連覇達成とV9時代の真っ只中でもあった。
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のちに7人もの名球会選手を輩出する、史上最高の豊作年と称された1968年のドラフト組だったが、星野は通算146勝を挙げ、1974年にはチームを20年ぶりの優勝に導き、巨人のV10を阻止。沢村賞を受賞している。
監督としても“闘将・星野”は中日で2度、阪神で1度のリーグ優勝を飾るが、初の日本一は3球団目の指揮となった楽天での2013年シーズンのことである。奇しくも、その悲願達成の日本シリーズで対峙したのは、星野仙一が己の野球人生を懸けて戦い続けた宿敵・巨人軍であった。
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