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ぶら野球BACK NUMBER
巨人スカウトの約束「星野君を指名するから…」が裏切られ…ドラフト1位は“名前も知らない高校生”、星野仙一が巨人を憎んだ日
posted2026/04/20 11:03
1969年に明治大から中日に入団した星野仙一(写真は翌年キャンプで)
text by

中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
落合、星野、岡田、長嶋、そして大谷……どんなスターにも「1年目」はあった。25人の名選手はプロ1年目をどう過ごしたのか? 彼らの不安定な新人時代のドラマを描いた『プロ野球1年目の分岐点』(PHP新書)が発売された。そのなかから、星野仙一のルーキーシーズンを紹介する。【全3回の前編/後編も公開中】
「ウチは田淵をイの一番に考えている。もし田淵(幸一)が先に指名されたら君でいくから、頼むぜ」
六大学通算23勝右腕の星野仙一は、1968年のドラフト会議前、明治大の先輩にあたる巨人の沢田幸夫スカウトから、合宿所の玄関前でそう声をかけられた。田淵の次というのは面白くない気持ちもあったが、あいつなら仕方がないと二番手を受け入れた。田淵幸一(法大)は、長嶋茂雄の持つ六大学本塁打記録を更新した同世代のトップスターだったからだ。
巨人軍に裏切られた瞬間
この昭和43年、初めてドラフト会議の様子が報道陣に公開され、当時まだドラフトのテレビ中継もないため、会場の様子は東京・日比谷の日生会館にいる記者が電話で逐一、星野のもとまで報告してくれる。事前の予備抽選で指名順を決めており、まずは3番目の阪神が田淵を指名。「これで巨人は絶対指名してくれる」と星野は確信したという。しかし、8番目の巨人の順番で呼ばれた名前は、島野修(武相高)だった。
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「あ、ホシとシマを間違えたな」
星野がそう思った瞬間、下の名が「修」と聞き、巨人に裏切られたことを悟る。「この俺じゃなく、名前も聞いたことのない高校生を選んだのか!」と屈辱の中で、10番目の中日が自分を1位指名したことを知った。その4日後、星野は明大の1年先輩、高田繁(巨人)の結婚式で沢田スカウトと顔を合わせる。

