- #1
- #2
箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝「伝説の17人抜き」から15年…シューズを脱いだ村澤明伸(35歳)が語る波瀾万丈の競技人生「ベストレースはこれといってない」のはなぜ?
text by

加藤康博Yasuhiro Kato
photograph bySankei Shimbun
posted2026/04/14 11:00
箱根駅伝2区での17人抜きや、実業団時代にもマラソンで印象的な走りを見せてきた村澤明伸。現役引退した今の思いを聞いた
「走ることをいったんやめ、自分をリセットしてからは本当に新しい走りを構築しようと考えていました。なので、これまでは事前に時間も距離もしっかり決めていたジョグも走り出した感覚でその長さを決めたり、ウォーミングアップの状態を見て、その日にやるべきメニューではないと感じたときは翌日にスライドしたりなど、これまでのやり方にとらわれないことにも取り組みました。ただ、今思えばそうすることしかできなかったんです。ロード中心で試合を組んだのも、トラックのスピードを戻すような練習ができなかったから。新しい自分になろうと考えましたが、結果として過去のイメージを払拭することはできず、自分の状態よりも高いものを目指してしまっていました」
24年の春からは母校、東海大学の大学院に進み、運動生理学を学びだした。それは引退後を見据え、自分の経験だけに頼らないコーチングを学ぶためという目的もあったが、現役選手として自身の走りを改善するための知識を得るという狙いもあった。
スッと“今年で最後にしよう”と
「大学院で学んだことが、自分の現役生活にどのようなプラスになったかは正直、分かりません。ただ大学院修士2年目を迎える25年の春の段階で、スッと“今年で最後にしよう”と考えるに至ったのです。自分の競技のことだけでなく、あと1年で大学院が終わるという外的な要因も影響したと思います」
ADVERTISEMENT
この決断も明確なきっかけはなく、自然とその思いが湧いて出てきたという。2021年にリハビリを開始してから、目指したのは「気持ちよく走れる状態になること」だったが、最後までそれは叶わなかった。
「だからこそ、現役を終えた今も、すぐには走りたいと思えないのかもしれませんね」
村澤は静かに、そして虚空を見つめながら寂しそうにつぶやいた。だがその最後の4年間で試行錯誤を続けている間、ずっと「いい経験をさせてもらっている」と前向きな言葉を発し続けていた。そしてここでもがくことで、様々な面で陸上競技に対する考え方が変わったともいう。
「それは自分にとって意味のあることだったと思います」
村澤はきっぱりと話す。
〈全2回の1回目/後編を読む〉

