甲子園の風BACK NUMBER
「新入部員0人→5人」無名公立校が“あの明徳義塾に善戦”するまで「未経験者も入部…猛練習やめた」「制服がブレザーに」33歳監督が明かすウラ側
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井上幸太Kota Inoue
photograph byKota Inoue
posted2026/04/04 11:02
高知農野球部監督、下坂充洋(33歳)
生徒の声…明徳義塾を相手に好投した投手
21世紀枠でのセンバツ出場が決まったとき、野球部や学校関係者の多くは「エースの存在が大きい」と口をそろえた。高校で内野手から投手に転向し、背番号1を任される右腕の山下蒼生である。
他校の模範となるチームを選ぶ21世紀枠だが、全国大会に臨むとあって、一定の実力があると示す必要がある。そのため、「秋の都道府県大会で、原則16強以上」の基準が定められている。高知農は県8強入りしただけでなく、敗れた準々決勝で、明徳義塾に2-3、それも延長10回タイブレークにもつれこむ大善戦を演じた。部員不足から復活した軌跡が選出理由だが、この一戦で地力を示したことが大きな後押しになったのは想像に難くない。
明徳義塾戦のマウンドを守り抜き、137球を投じて10奪三振を記録したのが山下だった。
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山下は高知農の面接試験で、「僕が高知農業を甲子園に連れていきます」と宣言している。本人は、中学生だった自分を顧みて、「なかなか太い(高知弁で『大きい』の意)ことを言ったなと思います」と恥ずかしそうに振り返るものの、実現させたのだから天晴と言うほかない。
山下家は紛うことなき“野球一家”だ。父の真二は、高知商の中心打者として夏の甲子園に2度出場。3年だった1983年夏には、当時1年生の「KKコンビ」を擁するPL学園と好ゲームを繰り広げた。長兄の真生は高知商で主将、次兄の真輝は、U-12日本代表に選出され、高知中央で主力を張った。
三男の蒼生も野球にのめり込むのは必然で、中学時代は2人の兄と同じく、県内で「南マリ」と呼ばれる、硬式野球チームの南国ヤングマリナーズで腕を磨いた。
高知農業への進学を決めた瞬間…
高校進学にあたっては、次兄の母校である高知中央からも声がかかったが、父と長兄が進んだ高知商に進むと決めていた。
中学3年生だった2023年秋、高知商の県大会2回戦(初戦)に足を運んだ。最初は受験するつもりだった高知商のプレーを見ていたが、次第に相手チームの監督ばかりが目に入るようになる。高知農の監督の下坂充洋だ。山下が記憶を掘り起こす。
「初戦の相手が農業だったんです。最初は商業の選手を見ていたんですけど、下坂先生の選手に対する行動や声がけが自分に刺さって。この時点で農業に行くと決めました」
新入部員0人だった野球部が変わりつつあった。
〈つづく〉


