甲子園の風BACK NUMBER
香川にいた“天才中学生ピッチャー”進路のナゾ「父親が“育成計画書”の提出を求めて…だから強豪校は手を引いた」説は本当か? 記者が現地で聞いた真相
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井上幸太Kota Inoue
photograph byKota Inoue
posted2026/03/13 06:00
大阪桐蔭をはじめ超強豪校が関心を示した木下瑛二はなぜ高川学園を選んだか?
真相を記者が直撃
「彼が進路を決めたとき、ご家族からの要望で“育成計画書”を出されたと、ウワサで聞きまして……」
過去にも何度か聞かれたことがあるのだろうか。西岡はフフッと軽く笑った後に続けた。
「育成計画書って言っても、こんな感じの紙に書いたものですよ」
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手に取ったのは、スタッフルームの隅に置かれた、カレンダーの使い終わったページを切り分けた、手製のメモ用紙だった。なんでも、面談の際に持参したノートの1ページに、「こう育てていきたい」というロードマップを手書きしたものだという。
少し拍子抜けしてしまった。育成計画書と聞き、高校時代の大谷翔平をドラフト会議で強行指名し、強固だったメジャー志向を翻意させた、日本ハムのプレゼン資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」のような綿密で膨大な計画書を想像していたからだ。ただ、真相を聞き、私が聞いたウワサは、尾ひれはひれがついたものだと確信した。
西岡は大阪体育大を卒業して間もない2017年から母校である高川学園に赴任。選手勧誘で見せる行動力、フットワークの軽さは31歳の若さ通りな一方で、取材日程の調整など事務仕事も手早く対応する様には、若年に見合わないきめ細やかさを感じさせる。“できるビジネスマン”といった雰囲気と例えるべきか。
その西岡のことだ。育成計画書が先方から求められたものだとすれば、その場で記入するとは考えられない。本人が述べる通り、会話の流れの中で、メモとして書いたものなのだと。木下の父である耕三さんの名誉のため、西岡と木下が補足する。
「木下のお父さんから、指導に関して何か言われたことはありません。こちらが驚くぐらい、何も。信頼して任せてくださっています」(西岡)
「父から、進路に関して『こうしろ』と言われたことは、一度もなかったです」(木下)
流布された風説と異なり、強豪は手を引いていなかったこともわかった。木下が見極めて、高川学園を選んだのだ。
木下を巡る争奪戦は、西岡が「難しかった」と漏らした通り苛烈なものだった。
〈つづく〉

