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りくりゅう金に「こんな時代が来るなんて」34年前に五輪出場の日本人ペア“先駆者”が感涙「大会出場は1組」「中国代表と間違えられ」黎明期のリアル
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2026/02/18 11:01
日本史上初の金メダルを獲得し最高の笑顔で写真におさまる「りくりゅう」ペア
「日本から応援に来ているスケートファンがいたのですが、僕たちのことを中国代表と思っていたみたい。ペアに日本の選手が出ていることを誰も知らなかった。それぐらい一般的ではなかったと思います。自分も井上も(主戦場は)シングルと思っていたので、正直、こんなことをやってどうなるのかな、みたいな感じで冷静に日々を過ごしていたところはありました」
1週間前にまさかの通告「ペアで出場を」
オリンピックシーズンの1991年末。アルベールビル五輪の代表選考がかかった全日本選手権の約1週間前のことだった。小山さんに、コーチから突然の“通告”が下される。
「全日本はペアのみで出場してくれ」
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ペアのみ、つまり全日本選手権のシングル部門に出場できないということは、自動的に五輪出場の道が閉ざされることを意味していた。この時、男子シングルの出場枠は2つで、1枠は世界選手権で10位と躍進した鍵山正和でほぼ確定。小山さんは残り1枠を村田光弘らと争っている状況だった。
「(10月の)東日本選手権では3位になっていて、このまま行けばチャンスはあるかもしれないとも考えていました。自分としてはシングルで、と思っていましたし、せめて滑る機会が欲しいというのは感情としてはあったんですけど……。ただ、このタイミングでごねてペアの方に影響が出るのも自分としては望むところではなかった。学生ながらに、色々な状況を推測して、自分には選択肢がないと感じ取っていたところもありました」
五輪選考大会「出場は1組だけ」
当時日大2年生だった小山さんには窺い知れない“大人の事情”があったのかもしれない。スケート連盟には、アルベールビル五輪に男女シングルの他にアイスダンスかペアのどちらか1組を派遣するという方針があり、より世界で戦える可能性の高い二人に期待をかけていたのだろう。
最終選考の全日本選手権。女子シングルは伊藤みどり、佐藤有香、八木沼純子と華やかなスター選手が火花を散らした銀盤に、「小山、井上組」が立った。ペア競技の出場はこの1組だけ。競う相手はいなかった。〈後編につづく〉

