- #1
- #2
フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
りくりゅう金に「こんな時代が来るなんて」34年前に五輪出場の日本人ペア“先駆者”が感涙「大会出場は1組」「中国代表と間違えられ」黎明期のリアル
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2026/02/18 11:01
日本史上初の金メダルを獲得し最高の笑顔で写真におさまる「りくりゅう」ペア
「当時のヘッドコーチだった都築章一郎さんのお考えで、単純に練習時間を増やすために、2つのカテゴリーを練習してみてはどうか、ということだったと思います」
「これを真似しろ」見よう見まねで技習得
年の差5歳の小山、井上組は相性の良さを発揮する。1987年と1989年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権のペアで優勝。共にシングルの練習をした後、ペアの練習にも並行して取り組むようになった。とはいえ、当時の日本スケート界にペア競技のために確立された練習方法はなく、リフトやスロージャンプなどの技術は見よう見まねで習得していったという。
「初めの1時間はシングルの練習をしたら、あと1時間はペアで、という感じでやっていました。練習方法があったわけではなく、ビデオ映像を見て『これを真似しろ』みたいな世界でした。ツイストリフト(男性が女性を頭上に高く投げて回転させ、降りてくる女性を再び受け止める技)なんて、投げるのも受け止めるのも誰も教えてくれない。最初は井上が軽すぎてトウピックをつく前に投げ上げちゃったりして。
ADVERTISEMENT
後から知ったのですが、他国では色々な練習メソッドがあって、スロージャンプなら恐怖心を少しずつ取り除くためにまず沢山スポンジがあるようなプールに向かって(女性を)スローするんですよ。僕たちは陸上で薄い体操マットくらいのところでいきなりやるわけで、そりゃ怖いですよね」
「日本の選手が出ていることを誰も知らなかった」
小山さんが日大に進んだ1990年には、翌年の世界選手権(ミュンヘン)に備えてロシアからペアのコーチを招いてレッスンを受けたこともあった。
「教えるというよりは、いきなり『この技をやれ』という感じで、井上も僕もポカンとして、でも怖いからなんとかやってみる、みたいな。自分で自分を褒めたくはないですけど、後々になって演技を見返すと、今でもやっているような技が出来ていたりして、意外とやれるものだなと思ったりして……」
まるで、取扱説明書が全くないなかで“完成品”の映像だけを頼りに部品を組み立てていくような作業。それでも二人はミュンヘンの世界選手権に出場し、15位に入った。

