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フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「自由奔放だった」“りくりゅう”木原龍一のシングル時代秘話…成長痛、ジャンプに悩み「しばらく休みます、と音信不通状態に」金メダルまでの紆余曲折
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAsami Enomoto / JMPA
posted2026/02/17 17:03
感動的な演技を見せた「りくりゅう」ペア
「例えば、ここで3回クロスしてください、この方向から入ってジャンプを跳びますよと言っても、彼は好きなように跳んでしまったり、勝手にプログラムを変えたりしていたんです(笑)。のちにペアに転向するときは、いろいろ細かいルールがあるなかでちゃんとやっていけるのかな? と最初は心配するくらいでしたね」
シングルの有望株「ダイナミックな選手に」
とにかく元気のいい子どもだったという。
「フィギュアスケーターとしての素質はありましたけど、(当時の)先生もご苦労されているなという印象でしたね」
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当時、男子選手は小塚崇彦さんなど数えるくらいしかいなかったため、「このまま順調に伸びてくれたらいいな」と大きな期待を寄せていた。
実際に成瀬さんが指導し始めたのは、中学生になってからだった。幼い頃から知る木原を成瀬さんはどんなスケーターに育てたかったのか。
「身長の高さや手足の長さを生かし、ダイナミックな選手にしたいと考えていました」
3回転半や4回転といった武器はなかったものの、確実な演技でジュニアグランプリシリーズでは常に上位に入っていた。「本人も手応えを感じていたと思います」という有望株だった。
「しばらく音信不通状態(笑)」成長痛に泣いた高校時代
高校生に入って苦労したのが、その“ジャンプ”だった。「回転数を増やすのが大変でしたね……」と成瀬さんは振り返る。
「周りの選手に比べると体が大きかったんですが、その分、転倒すると体のダメージも大きいんです。中学時代、龍一は小柄で華奢だったんですが、高校生になって急激に身長が伸びたので成長痛になってしまって。よく『膝が痛い』と言っていましたし、数カ月間、滑ることができないこともありました。当時は1、2月頃にシーズンが終わると、『しばらく休みます』といって1カ月程度は練習にも来ていなかったですね。しばらく音信不通状態(笑)。そこでしっかりと体を休めて、また春になったら練習に出てくるというようなスタンスでした」


