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「結局、川上さんを超えることはできなかったね」あの広岡達朗が弱気に…確執もあった川上哲治への“本当の思い”「今の私を見て、何て言うだろうか?」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph bySankei Shimbun

posted2026/02/09 17:01

「結局、川上さんを超えることはできなかったね」あの広岡達朗が弱気に…確執もあった川上哲治への“本当の思い”「今の私を見て、何て言うだろうか?」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1978年の日本シリーズ開幕前日に広岡達朗を激励した川上哲治。確執も伝えられた両者だが、広岡は川上への尊敬の念を抱き続けている

ついに実現した自宅への訪問

 また、この頃からさらに耳が悪くなってしまった。用件を伝える前に「耳が遠いから、何を言っているのかわからん」と言われることが増えた。

――今日はマニエルについて伺いたいのですが……。

「えっ、ウジイエ? ウジイエなんて知らんぞ」

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 そこで、「マニエル」ではなく、「チャーリー・マニエル」とフルネームで告げると、「おぉ、マニエルか。マニエルがどうした?」となった。あるいは、こんなこともあった。

――前回は松園オーナーについて伺いましたが……。

「えっ、ワタナベ? ワタナベとは誰だ?」

 ウジイエとワタナベ─。日本テレビの代表取締役会長を務めた氏家齋一郎、そしてジャイアンツの渡邉恒雄元オーナーからの想起だろうか?

 仕方がないので、自分でも信じられないほど大きな声で、ゆっくりと話す。それでも取材テーマと無関係な雑談に終わることが続いた。

 近況を聞いていると、「足腰が弱ってきたので、外に出ることもなくなった」「家でずっとテレビを見て、本ばかり読んでいる」ということがわかった。ちょうどこの頃、夫人の体調が悪化し、そしてその最期を看取ったばかりだと、後に知った。

(もう、この状態では取材を続けることは不可能なのだろうか……)

 電話取材の限界を感じていた頃、広岡に「対面でお話を伺うことはできないか?」と改めて問うと、意外な返事がもたらされた。

「時間ならいつでもある。都合のいいときに来ればいい」

 これまで何度も対面取材を申し込んだけれど、「妻の介護で家がとっ散らかっているから」という理由で断られていた。この時点では知らなかったけれど、愛妻を亡くしたことで、対面での取材を許してくれたのだということも、後でわかった。

 こうして、編集者とともに広岡の自宅を訪ねることになった。

<続きは書籍でお楽しみください>

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