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悲願の甲子園出場→4カ月後にまさかの「閉校報道」…東大阪大柏原監督が振り返る“狂騒曲の全内幕”「自分は暗くなることはなかったです」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2026/01/13 06:01

悲願の甲子園出場→4カ月後にまさかの「閉校報道」…東大阪大柏原監督が振り返る“狂騒曲の全内幕”「自分は暗くなることはなかったです」<Number Web> photograph by Fumi Sawai

東大阪大柏原高校の野球部を率いる土井健大監督。閉校後は系列の東大阪大敬愛高校で野球部監督を務める予定だ

 2018年から東大阪大柏原の指揮を執る土井監督は、履正社時代に右の強打者としてドラフト候補に挙げられ、1年上にいたT―岡田こと岡田貴弘(元オリックス)の愛称だった「浪速のゴジラ」にちなんで「浪速のミニラ」とも呼ばれていた。

 強打者でありながら穏やかで物静かな岡田貴弘とは対照的に、ざっくばらんでガハハと豪快に笑う土井は、岡田と異なるキャラクターであることが良い意味で強いインパクトを残していた。

 4番、主将としてチームの中心に立ち、ハキハキとものを言える竹を割ったような性格で、後輩に対しても面倒見の良いキャプテンというイメージが土井は強かった。その後、秋のドラフト会議(当時は高校生ドラフト会議)では5巡目でオリックスから指名を受けてプロの世界に進むことになるが、当時は将来的に指導者になるというイメージは全くつかなかった。

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 そのことについて尋ねると、土井はこう返してきた。

「自分が(現役選手として)野球が終わったら、野球をどこかで教えたいなというのは高校の時からずっとあったんです。高校では(当時の岡田龍生監督から)人間的なことを教わりましたけれど、野球に関しては自分で考えながら練習をやっていることもありました。それからプロに入って、高校ではなかなかできない練習法が色々あって、すごく関心が高かったんです。それに僕がプロにいた頃に野球塾みたいな組織をプロOBで立ち上げた方が増えたので、自分もいずれはそうやって野球を教えたいなとは思っていました」

4年間のプロ生活で「学んだこと」

 プロではオリックス、巨人と計4年間プレーしたが、目立った成績は残せなかった。それでも練習に対する意欲は強い方だった。

「練習メニューをこなしながらこういう練習はこんなことに役立つとか考えながらやってきたんですけれど、誰かから学んだり教わったりすることがあまりなかったんです。先輩にどんな感覚でやっているのかなどを尋ねて自分の感覚と照らし合わせて、じゃあこんな練習はこういう時にやればいいとか考える癖はプロで自然とつきました」

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