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高校サッカー選手権“無縁だった天才”小野伸二「高1でアヤックスが特A評価」、鎌田大地は「16歳の失敗が転機」日本代表MFの“スーパーだった青春”
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKiichi Matsumoto,Toshiya Kondo
posted2026/01/11 06:00
鎌田大地と小野伸二。全国高校サッカー選手権とは“無縁だった”天才MFの青春秘話とは
清水商業高校の1年生時に出場したU-17世界選手権(現U-17W杯)では、オランダの名門アヤックスのスカウトがチェック項目のすべてに「スペシャルA」の評価を記したという伝説を持つほど、その能力は際立っていた。小野は当時について、こんなふうに語っていたことがある。
「アイディアがあるときは何をやってもうまくいくんです」
しかし当時の静岡県は静岡学園、藤枝東、清水東など「サッカー王国」として群雄割拠の時代である。
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清水商は小野が3年生だった1997年度に全日本ユース選手権で準優勝、インターハイ出場を果たしたものの、ついぞ選手権の舞台に立つことはなかった。ただその翌年には18歳でフランスW杯出場、99年にはワールドユース準優勝と一気にサッカー界の中心選手となっていくわけだが。
大ケガ後、高校時代とイメージがズレていても
そんな小野にとってキャリアの分岐点は、1999年夏のシドニー五輪アジア予選。左ヒザの靭帯を断裂して長期離脱を強いられた。それ以降のキャリアについて「Number」誌に対して「練習に復帰してから、何かしっくりこない。(中略)で、ふと気がついたんです。何もイメージが浮かんでこない」と語った。つまり小野自身の中では、高校時代の創造性とはズレがあったという。
もしケガをせず海外挑戦、日本代表でプレーしていたら。サッカーファンならだれしもが、そんな思いを頭がもたげるだろう。それでも、3回のW杯出場、さらにはこちらもオランダの名門フェイエノールトを、UEFA杯(現UEFAヨーロッパリーグ)優勝に導いたのは十分に大きな実績だ。なにより――。
「彼はあの頃のフェイエノールトで実に重要な選手だったよ。ピッチの外では、剽軽なところもある人気者だった」
かつての小野の同僚でオランダ代表――北中米W杯で日本の初戦の相手――に長年名を連ねたパウル・ボスフェルトがこう語っているほど、高校時代の天才性は完全に失われることはなかった。〈サッカー特集:つづきは下の【関連記事】へ〉

