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山本由伸「実はヒジが痛かったんですよ」恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ〈ワールドシリーズMVP熱投の原点〉

posted2025/12/13 11:00

 
山本由伸「実はヒジが痛かったんですよ」恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ〈ワールドシリーズMVP熱投の原点〉<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

都城高3年、18歳当時の山本由伸(オリックス入寮時)

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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SANKEI SHIMBUN

 ドジャースの山本由伸投手が来春のWBCに出場する見通しとなった。ワールドシリーズでは、第6戦、第7戦の連投を含めて3試合に登板しMVPに輝いた右腕。“魂の熱投”の原点は、宮崎・都城高校時代にあった。山本由伸が振り返る「甲子園を逃したあの夏」ーー。Number1056号(2022年8月4日発売)に掲載された[最後の夏からはじまった]山本由伸「明かせなかったエースの秘密」を特別に公開します。(*肩書などはすべて当時のまま)

山本由伸、5年後の告白

 最後の打者は一塁に頭から滑り込む。

 2016年7月19日。高校野球では定番であるその姿をベンチから静かに見守っていたのは、当時22歳の若さで都城を率いていた監督の石原太一だった。

「勝たせてあげられなかったのは、すべて私の責任です」

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 ギラギラと照りつける宮崎の夏の日差しの中で、若き監督はこう語って悔しさを飲み込んだ。下馬評では優勝候補とされていた都城は、3回戦で宮崎商業に0対2と完封負けを喫して甲子園への道を断たれた。

 それから5年後の2021年11月27日。石原はあの時、一塁にヘッドスライディングをした教え子の運転する車の中で、ある告白を聞くことになる。

「実は僕、肘が痛かったんですよ」

 告白の主はこの日のヤクルトとの日本シリーズ第6戦に先発した、オリックスの山本由伸だった。山本はこの試合で9回141球を投げ抜き、ヤクルト打線を1点に抑え込んだが、味方の援護なく同点のまま降板。試合は延長12回の末にヤクルトが2対1で制して、日本一を決めた。その試合後、山本はほっともっとフィールド神戸に観戦に訪れていた石原をホテルまで送ると申し出たのだった。

 時計の針は午前0時を回り、日付は28日になっていた。

 敗戦に重苦しい空気が漂う車内。それでも問わず語りに高校時代の思い出話をする中で、山本が突然、石原にこう語り出した。

「実は僕、肘が痛かったんですよ。宮商戦の時、痛かったんです」

 思いもしなかった告白に、一瞬、石原は言葉を詰まらせた。

「当時もあそこが痛い、ここが痛いというのはあったんですよ。それこそ3年の春にバッティングで脇腹を痛めて、春の大会はほとんど投げさせなかった。それでも夏はチーム的には彼に頼らざるを得ない状況があった。ただ……知りませんでした。あの夏に負けたとき、肘もきていたのを知ったのは、その日本シリーズの夜でした」

高2秋のノーヒットノーラン

 山本と石原は奇妙な縁で繋がれている。ともに岡山・備前市出身。山本は少年野球時代に石原の弟で1年先輩の石原与一と共に野球に打ち込んできた。与一を追って都城への進学を決めると、そこに当時、広島経済大学の学生だった太一がコーチとしていた。そして山本が3年生になると同時に石原は監督に就任した。

 入学時には三塁手だった山本は、1年秋から投手一本に専念すると、メキメキと頭角を現すことになっていく。

 山本は当時の自分をこう振り返る。 

【次ページ】 高2の秋にノーヒットノーランを達成

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