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広島にいた“プロ12球団注目の18歳”まさかの進路変更…なぜ? 監督&本人が明かす“ある理由”「舞い上がった状態でプロ志望届提出…は避けたかった」
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph byYuki Suenaga
posted2025/11/13 11:01
広島にいた“プロ12球団視察の高校生”は、なぜプロ志望届を出さなかったのか?
「これまでに一度も大学野球を見る機会を作れていなかったのが引っ掛かっていました。本人の中にプロ以外のイメージがない状態で進路を考えても、プロしか浮かばないよなと。一番大事にしてきたのは、本人がどう考えているか。それは今も変わらないんですが、絶対に避けたかったのは、本人と僕が舞い上がった状態でプロ志望届を出してしまうこと。考えられる選択肢をすべて踏まえた上での、『プロに行きたい』なら、背中を押すつもりでした」
藤本が持っていた大学野球の知識は、本人曰く「東京六大学が少しわかるくらいで、ほぼゼロに近かった」。中国地方には広島六大学、中国地区大学の両リーグが存在するが、「どちらの試合も見たことがなかった」という。
プロ志向が強かった分、積極的に大学について調べていなかったことも影響しているが、地方高校生にはこのようなケースが珍しくない。大学野球に関する生の声が入りづらく、自分がそこでプレーするイメージを抱けないのだ。
“待ってくれた”大学
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春の快投で興味を抱いた大学もあったそうだが、早くからプロ志望を公言していたこともあり、それらの多くは早々に手を引いた。
それでも、「ドラフト指名がなかった場合は、ウチに来てほしい」、いわゆる“プロ待ち”を前提に、熱心に声をかけた大学がいくつかあった。その中から、黒田と相談を重ねながら2校に絞りこんだ。ともに関東圏にある強豪大学で、数多くのOBがプロで活躍している。両大学とも「育成までは待てないが、支配下指名であれば順位は問わない」スタンスだった。
こうした経緯から、藤本はいったん「支配下ならプロ、育成なら大学進学」と方針を定めた。当初は指名漏れに備えた“保険”に近かったが、さらにプロ志望届提出を取りやめるという決断に行きつく。きっかけはドラフト会議をおよそ2カ月後に控えた、8月末のことだった。
藤本は黒田とともに2つに絞られた関東の大学を訪れた。
有望高校生が驚いた…「大学野球のレベル」
そのうちの一つ、東海大では、長谷川国利監督の計らいで、有望株の1年生投手陣と並んでのブルペン投球の機会が設けられた。そこで藤本は鮮烈な投球を見せる。黒田が振り返る。
「(自己最速にあと1キロに迫る)148キロを連発したんです。リーグ戦でも投げている左右の1年生と並んで投げさせてもらっていたので、いつも以上にアドレナリンが出たと思うんですけど、もう本当にバンバン投げて」
藤本も自分のベストに近いボールを投げた実感を抱きつつも、2日間を通じて大学野球のスケールに圧倒されていた。
〈つづく〉


