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「“ヒロシ”は最終決定を意味する言葉」マクラーレン代表アンドレア・ステラと日本人エンジニア今井弘との強固な信頼関係
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尾張正博Masahiro Owari
photograph byMcLaren Racing
posted2025/10/09 11:03
マクラーレンをコンストラクターズ2連覇に導いたステラ。左胸にはいつもジル・ド・フェランのピンズがついている
昨年のハンガリーGPでこんなことがあった。レースは最後のピットストップを前にトップがオスカー・ピアストリ、2番手がランド・ノリスとマクラーレン勢が1-2体制を築いていた。ここでマクラーレンは確実に2台を表彰台に立たせるために、2番手のノリスをピットインさせた。その2周後にトップのピアストリがピットインし、マクラーレンは再び1-2体制を堅持したものの、2周早く新品タイヤを履いたノリスがピアストリの前に出てしまった。そのため、チームはノリスに対して、ピアストリにトップの座を譲るよう無線を飛ばした。
ところが、チャンピオンシップ争いで2位にいたノリスにはハンガリーGPで優勝してトップとの差を少しでも縮めたい思惑があり、にわかに指示を受け入れることはできなかった。
このとき、ノリスのレースエンジニアからこんなメッセージが発せられた。
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「いいかランド、ヒロシがタイヤにストレスを感じていると言った」
タイヤのスペシャリストである今井が「タイヤにストレスを感じている」というメッセージには、「ペースを落とせ」という意味が込められている。
その無線からしばらくして、ノリスはトップの座をピアストリに譲った。メッセージには技術的なものだけではない、もうひとつの意味が込められていた。
『ヒロシ』に込められたメッセージ
ステラはこう明かす。
「われわれが『ヒロシ』という名前を使うときは、それは最終決定だということを意味するんだ。長年、マクラーレンでレースしてきたヒロシは、チームにとって助言や賢明な意見を求める頼れる存在であり、ヒロシに相談すれば、必ず的を射た回答を得られると誰もが理解している。彼はどんな厳しい状況でも冷静かつ的確な決断ができる人物で、私だけでなくチームメンバーのだれからも尊敬されていた」
しかし、今井は新たなチャレンジのために、24年限りでマクラーレンを離れた。マクラーレンのメンバーとして現場での最後の仕事となったアブダビ・テストでは、今井を囲んでチーム全員が集合写真を撮って門出を祝った。
それから約10カ月後、シンガポールGPでコンストラクターズ選手権2連覇を果たしたステラは、帰国してブリヂストンの常務役員モータースポーツ管掌に就任していた今井に向けて、こう言った。
「ヒロシとともに戦って養ってきたすべてがいまでも私の中に生きている。あなたはいまでもチームの一員だ。この2連覇をヒロシに捧げたい」
人間同士の交流こそが、成し遂げた結果に真の意味を与える——そう語っていたステラらしい2連覇だった。

