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「股、開けー!」「汚いの出すな」全女で“本当にあった”下品なヤジ…人気アイドルレスラーだったジャンボ堀の証言「控室をのぞかれることもありました」
posted2025/10/03 11:01
全女の女子プロレスラーとして活躍したジャンボ堀さんのインタビュー(第2回)
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)Shiro Miyake、R)東京スポーツ新聞社
◆◆◆
全日本女子プロレス興業(以下、全女)が70年代にビューティ・ペア(ジャッキー佐藤、マキ上田)で、80年代にクラッシュ・ギャルズ(長与千種、ライオネス飛鳥)と極悪同盟(ダンプ松本、クレーン・ユウ、ブル中野)で巻き起こした女子プロレスブームを、所属選手として体感。それは、創業者の松永4兄弟(健司、高司、国松、俊国=すべて故人)と選手、なによりファンが大狂乱の時代だった。
堀 私が入った1年後にビューティ・ペアが解散して(79年)、その翌年から1年間ほど、興行を2つに分ける「2リーグ制」がはじまったんですけど、これが思うようにいかなくてね。会社(の経営)がやばくなった。ビューティのころはどこに行っても超満員だった会場が、ジャッキーさんも辞めてからは(81年)、2階席から見ると「今日は何人」って数えられるほど落ちこんで。
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――ギリギリの状況ですね。
「宿がラブホの日もあった」全女“谷底の時代”
堀 辞めた先輩たちの余ったグッズを福袋にして、1000円で会場売りするんだけど、新人は「売ってこい」って10袋渡されるの。「全部売ったら(その日の)試合に出させてやる」って言われて、みんなは「お願いします! これを売らないとリングに上がれないんです!!」って、必死になってお客さんに頭を下げて。一度ね、宿がラブホ(テル)っていう日もあったよ。
――女子同士のラブホって、ちょっと楽しそうですけど。
堀 たしかに、みんな若くて初めてのラブホだから、おのぼりさん状態だよね。1部屋2人で、「あっちはどんな部屋?」って騒ぎながら行き来してたら、従業員が来て、「一般の方も泊まってるんで静かにしてください!」って怒られて(笑)。
――ファイトマネーは出ていたんですか?
堀 それは出てたんだよね、毎月。昔なので、売り興行(イベント興行権を売却するシステム)が多かったからじゃないかな。自主興行がほとんどない時代だから。

