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「生理を止めてまで取り組むのは…」“女子体操の減量問題”で杉原愛子(25歳)が明かした過去の失敗…“全員10代”だったパリ五輪メンバーにかけた言葉
posted2025/09/10 11:02
インタビューに答える現在の杉原愛子さん
text by

矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Asami Enomoto
自ら開発したスパッツ型のユニフォーム「アイタード」をまとって観衆を魅了する25歳は、第一線から退いた時期を経て復帰3年目の今年、目を見張るような活躍をしている。10月にインドネシアで開催される世界選手権に向けて練習に励む杉原に、パリ五輪を戦ったチームメイトへの本音、女子ジュニアアスリートたちへの思いなどを聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/第3回に続く》
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体操NHK杯を10年ぶりに制した杉原愛子。25歳にして進化を遂げる足がかりとなったのが、2024年夏にパリ五輪補欠として過ごした日々だ。
リオ五輪と東京五輪に出場した杉原は、22年6月に「競技人生に一区切りをつける」と表明。その後は、武庫川女子短期大学で学生生活を送りながらコーチとして学生を指導するなど活動の幅を広げた。23年6月には「株式会社TRyAS」を設立して社長に就任し、会社経営にも携わるようになった。
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ところが、23年秋にあった杭州アジア大会の体操をテレビのリポーターとして間近で見たことにより、競技への思いが再燃。23年12月に翌夏のパリ五輪を目指すことを宣言して第一線に戻っていく。そして迎えた24年5月のNHK杯兼パリ五輪最終選考会。ここではあと少しの差で代表入りには届かなかったものの、直後に補欠に選ばれて代表メンバーたちとともに強化合宿で技を磨く毎日を過ごすようになった。
パリ五輪の補欠「(辞退する考えは)なかったですね」
杉原は「何があるか分からないという中で、補欠としてケガをしないことと、4種目すべてに対応できるよう、しっかりと準備をしようと思って練習していました」と当時を振り返る。
杉原が言うようにつねにケガと背中合わせである体操では、代表選手の入れ替えは決して珍しくない。実際に日本女子は22年、23年と2年連続で世界選手権の代表メンバーが負傷によって交代している。杉原自身にも、18年世界選手権では現地で腰痛を発症して欠場を余儀なくされた経験がある。
とはいえ、補欠と言えば次世代の若手選手が選ばれる競技も多い中で、杉原は五輪を2度も経験したベテラン選手である。代表を辞退するという考えがよぎったことはなかったのだろうか。
杉原は「なかったですね」と即答した。
「チャンスを願うわけではないですが、やはり補欠にならなければ(出場する)チャンスは絶対にありません。ですから、逆に補欠に選んでいただけるということはありがたいなと感じていました。それに、補欠を経験するかしないかで人生の経験が変わる。補欠の役割を最後まで果たすことは大きな経験になる。そういう考えもありました」
プライドや情熱もすべて注ぎ込んだ合宿では、僅差でパリ五輪に届かなかったことからの学びも日々の練習に投影させた。
「東京五輪の選考会では0.1点差ぐらいで代表になったのですが、パリ五輪の選考会では逆に0.1点ぐらいの差で負けてしまいました。そこで『0.1』の大きさをあらためて実感することになりました」

