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甲子園の風BACK NUMBER
「正直嬉しくはないです。でも」逆転サヨナラ満塁弾を今も聞かれ…甲子園で悲劇の左腕・寺沢孝多が「プロが目標」と簡単に口にできない理由
text by

間淳Jun Aida
photograph byYAMAHA(ヤマハ野球部提供)
posted2025/09/03 11:02
星稜高校時代、奥川恭伸の2番手投手だった寺沢孝多。逆転サヨナラ満塁弾を浴びるなどの甲子園を経て、今は何をしているのか
「済美戦は周りの人が覚えていて、色んなところで聞かれます。正直、あまり嬉しくはないです。でも、あの本塁打が、その後の野球人生につながっていると思います。プラスに働いていると感じていますし、プラスにしていかないと成長できないととらえています」
脇役では終われない。寺沢は再び甲子園に戻り、今度は納得のいく投球を披露すると決意した。
そして、1年後、聖地に返ってきた。
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速球の最速は139キロと、1年間で7キロアップ。制球力も変化球も全国で通用するレベルを目指して自分を追い込み、自信もつけていた。
「自分の出番は来ないだろう」
あの頃とは自覚が違った。
「済美戦では無失点に抑えたイニングはあっても、自分の球が全然通用しないと感じていました。全ての面で、全国レベルに達していませんでした。敗戦から自分の現在地を知り、ひたむきに練習に取り組めるようになったと思います。甲子園で勝ち上がるには、エースに続く投手陣の重要さも感じました」
1年後は計5回無失点…自分のせいで負けたくない気持ち
2019年夏の甲子園。星稜高校は準優勝し、寺沢は6試合中3試合に登板した。計5回を投げて無失点。いずれも試合を締める役割を任された。林和成監督からは大会後、「試合に勝つ瞬間にマウンドに立たせたいと思っていた。勝つ喜びを味わってほしかった」と明かされたという。
寺沢は逆転サヨナラ満塁弾を許した屈辱を力に変え、監督の信頼を勝ち取っていた。
「3年生の夏は自信を持って登板できました。もう一度、甲子園で投げる思いで1年間頑張れたのは、自分のせいで負けたくない気持ち。それだけです」
寺沢は甲子園で、敗れる悔しさも勝つ喜びも味わった。一番の思い出を問うと、振り返りたくない「あの一発」を即答する。
「本塁打を許すのは、打たれる要因が必ずあります。済美戦の本塁打は自分の球が甘く入ってしまいました。アウトがほしい焦り、余裕のなさが投球に表れた部分があると思います。ただ、その悔しさがあったからこそ、もっとレベルアップしたいと常に向上心を持つようになりました」
近大→ヤマハ「プロを目標」と簡単に口にできない現実
寺沢の向上心は星稜高校卒業後も衰えなかった。名門・近畿大学に進学し、1年秋からマウンドに上がっている。3年までは中継ぎ・抑え、4年では先発として活躍。昨年からは社会人野球の強豪・ヤマハに所属し、都市対抗野球でも出番を待つ。

