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プロ野球PRESSBACK NUMBER
あの“阪神ドラ1”の告白「結果を出してないのに使ってもらえる。それがしんどくて」伊藤隼太36歳が新人時代に感じた“厳しすぎるプロ野球のリアル”
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谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byNumberWeb
posted2025/08/28 17:00
現在はオイシックス新潟でコーチを務める元阪神の伊藤隼太
キャンプ初日から突きつけられた“厳しい現実”
この年の阪神は目立った補強がなかったこともあり、視線はいっそう“ドラ1”に向けられた。一挙手一投足に注目が集まり、毎日のように大小の記事になる。バッティング練習をしただけなのに、“あれじゃホームランは打てない”と書かれたこともあった。街に出れば声をかけられ、テレビも新聞もタイガースのことばかり。東京や愛知では経験したことのない熱量が大阪にはあった。
とまどったのは阪神独特の文化だけではない。振り返れば、キャンプ初日からプロの厳しい現実を突きつけられた。
「(練習の)同じ列に金本さんがいて、桧山さんがいて、鳥谷(敬)さんがいて。ランチ特打ではマートンやブラゼルの打球が宜野座のバックスクリーンを軽々と越えていく。こんな人たちと一緒にやるのかと愕然としました」
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大学最後の慶早戦で早大の右腕・有原航平の死球を受けた影響は確かにあった。ただ、そもそもプロの世界に臨む姿勢にも問題があったと36歳になった伊藤は振り返る。
「新人は初日からアピールしなきゃいけない。なのに学生気分が抜けてなくて。怪我もあったし自分のペースで調整すればいいと思っていた。でも身体ができてないから話にならない。最初の1~2カ月はついていくだけで精一杯。メンタルも相当きつかったですね。“プロ野球”という世界をまったく理解できていなかったということです」
「ドラ1だから、結果を出してないのに使ってもらえる」
こと阪神においては、ドラフト下位指名のほうがもっと楽にプレーできたのではないか。今でもそんな想いが頭をよぎる。ただ、それでも出番が巡ってくるのが「ドラフト1位」の宿命だった。オープン戦16試合で打率1割台だったが、マートンの故障も重なり開幕一軍を掴み取った。
「掴み取ってないんですよ。ドラフト1位だから使われた。ファームに落ちてからも結果を出してないのに試合で使ってもらえる。それがしんどくて。3~4年目になって出番がなくなった時にやっとそのありがたみに気づくんですけど、当時は試合に“出されている”という感覚というか。1年目を終えた時はシーズンがすごく長く感じました。これを何年も続けないといけないのか。とんでもない世界に来てしまった。それが本音でした」
一軍22試合出場で打率.148、1本塁打、5打点。先述した満塁ホームランがシーズン佳境の9月27日だったことを踏まえれば、即戦力ルーキーとして物足りなさは否めなかった。オフには、ドラフト1位で入団した新人野手として球団初の減俸提示を受けている。
ただ、壁にぶち当たりながらも転機になる出会いはあった。伊藤が師と仰ぐ掛布雅之と今岡誠の存在だ。特にプロ3年目の2015年に二軍監督に就任した掛布には多くを学んだ。
「掛布さんは器が大きいというか、“隼太の好きなようにやれ”と長所を伸ばしてもらった。自分のバッティングを否定されたことはなかったです。自信を失っている時期にそういう声をかけてもらったことですごく救われました。今でも連絡をとることもあります」


