甲子園の風BACK NUMBER
「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」“甲子園準優勝の名門”沖縄水産の崩壊「設備はボロボロ…部費の横領事件も」“立て直しに尽力”元監督が驚愕した実態
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/06 11:07
沖縄水産にとって「最後の甲子園出場」となった1998年の夏。なぜ名門は凋落していったのか
荒廃した沖縄水産「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」
名将・栽が亡くなったことで、沖縄水産の凋落は一気に加速する。
“沖水”のブランドを保とうと踏ん張っていた時期もあった。しかし、時代の流れとともに子どもたちの気質や求めるものが変わっていき、以前はまかり通っていたものが次第に通用しなくなる。栄光時の施設や設備も老朽化する。部内の体制や仕組みも変容し、かつての形を無理矢理保とうとすればするほど歪な形になっていく。
2012年4月、小禄高校の野球部部長だった新垣隆夫が転任し、野球部副部長に就く。そこで沖縄水産の実情を目の当たりにして愕然とした。
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「赴任した時には学校全体が飲酒、喫煙、暴力、いじめ、窃盗、もう何でもありのような状態でした。野球部も荒んでいた。毎年いい選手が入ってきて、『今年の1年生はいい』って聞くんですけど、上級生に詰められて辞めていくんです。1週間連続でパトカーが学校に来たこともありました。生徒が女性の先生にいきなり抱きついて、それを動画で撮ってネットにアップするといったセクハラまで……。女性の先生は相当怖がっていました。校内の自販機が燃やされたり、理科の実験室で水道の蛇口を外して投げたり、やりたい放題です。そういう校風だったため退学者も多かったです」
80年代のような校内暴力の数々が2010年以降の沖縄水産でまだ行われていたことそのものが驚愕であり、生徒指導を担当していた新垣にとっては毎日が格闘の日々だった。定員割れするため偏差値の低い他校に落ちた生徒が2次募集でなんとか引っかかり、周囲からは「掃き溜め」と揶揄される。生徒指導室と校長室のガラスが割られ、消火栓を抜いた消火器が投げ込まれることもあった。泡だらけの生徒指導室と校長室を、午前中いっぱいを使って清掃して原状回復する。学校内には沖縄県の高校として初めて、防犯カメラが設置されたという。

