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父・野村克也が「現役引退しなさい」“2世”カツノリ、巨人たった1年間で戦力外通告…野村克則52歳がいま明かす「なぜ父の言葉に反抗したか?」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKYODO
posted2025/08/07 11:02
2004年1月、野村克則の巨人入団会見。阪神から金銭トレードされた
思い出深い試合は、2001年7月1日の古巣・ヤクルト戦。9回裏に3点差を追いつきなおも2死一、二塁という場面で代打に立った。マウンド上はヤクルトの守護神・髙津臣吾。初球のシンカーを左中間へ運びサヨナラ打を決めると、チームメートの祝福の輪の中で人目も憚らず涙した。
「嬉しかったですね。髙津さんが試合後のコメントで『カツノリに打たれたらしょうがない』って言っていたことを聞き、さらに嬉しかった。ヤクルト時代からすごくお世話になってきましたし、僕が苦しんでいる姿も知っていたので、その言葉にグッときました」
この年、克則はキャリアハイの成績を残したが、父の野村監督は同年12月にユニフォームを脱いだ。当初翌年も続投することが決まっていたが、沙知代夫人が脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕されたことを受け、その責任をとる形で電撃辞任した。
わずか1年間で戦力外通告
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克則にとって2度目のトレードは、2004年1月。監督が星野仙一から岡田彰布に代わったタイミングで、巨人への金銭トレードが発表された。前年は一軍昇格なしと出番が激減しており放出は意外ではなかったが、ある憶測からこのトレードに注目が集まった。この年のドラフトの目玉選手だった野間口貴彦投手が所属していたのは野村克也氏がGM兼監督をつとめる社会人野球のシダックス。自由枠で野間口獲得を狙う巨人の“布石”ではないか、という憶測だ。
「色々と言われましたね。どんな事情だったのかは分かりませんが、僕自身はトレードは嫌ではなかったです。ヤクルト、阪神と色々な人に出会えたので、またジャイアンツに行くというドキドキ感がありました。阪神から巨人への移籍も当時は珍しいことでしたから、これも貴重な経験だな、と感じていました」
巨人のユニフォームに袖を通すことになり、父は喜んだ。ヤクルト、阪神の監督時代は「打倒・巨人」を掲げ毒舌を向けることも多かったが、シダックス監督当時コメントを求められ「俺は子供の頃から巨人ファンなんや!」と方向転換。「息子も巨人のキャッチャーになったしな」と目尻を下げて話していたという。
結局、その年は出場3試合に終わり、オフシーズンには戦力外通告を受けた。巨人からは二軍バッテリーコーチ就任の打診があり、それを聞いた父は引退を勧めたというが、克則は父の言葉に逆らって現役続行に賭けた。


