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西田有志の休養「すごく理解できます。投資の仕方が違うだけ」男子バレー宮浦健人26歳が“勝負の1年”と断言する理由「目指す先は同じだと思う」
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYuki Suenaga
posted2025/07/17 17:12
試合前、入念にストレッチするバレーボール日本代表の宮浦健人(26歳)
その年、初めて日本代表に選出された宮浦にとって、翌年の世界選手権出場をかけたアジア選手権は日本代表でのデビュー戦だった。当時は東京五輪を終えた直後。五輪で日本代表のオポジットとして主軸を担った西田有志はイタリアのビーボ・バレンティアでプレーするため、アジア選手権への出場を見送った。
“初めてのチャンス”にも見えるが、宮浦の受け取り方はむしろ、その逆。東京五輪を目指してきたにもかかわらず、日本代表登録選手24名の中に名前はあっても、合宿には呼んですらもらえなかった。
「オリンピックが終わった後、突然ポッと急に入った感じで。すごく場違い、というか。まだ身体もヒョロヒョロだったし、メンタル的にも難しかったです」
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それでも、「背番号19」をつけた当時22歳の左腕は十分に存在感を発揮し、大会のベストオポジットを受賞。だが、周囲の評価と宮浦自身の見解にはズレがあった。
「ずっと日本代表に選ばれたいと思っていて、やっと巡ってきたチャンスだったのに自分のやるべきことが何もできなかった。みんなに引っ張られた中でプレーするだけで、達成感を感じるどころか、まだまだだなぁ、ダメだなぁと思いながらやっていた。力不足を実感しました」
西田有志との関係
ジェイテクトSTINGSで出場機会を重ねたあと、宮浦は海外移籍を決断する。2022年はポーランド、2023年はフランスへ渡り、経験を重ねた。試合出場だけでなく、ウェイトトレーニングの成果も顕著で、高さに加えてプレーにパワフルさを増した。
日本代表でも2023年のネーションズリーグではスタートから出場する試合のみならず、途中出場でも獅子奮迅の活躍ぶり。日本のオポジットとして“ケント・ミヤウラ”の名を広く世界に知らしめた。
しかし、目の前には、必ず西田がいた。


