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18歳でバセドウ病に「周りの選手には病気のことを言えなかった」女子バレー鍋谷友理枝が初めて明かす闘病生活「なんで私はこんな身体なの?」
posted2025/07/13 11:02
18歳の時にバセドウ病を患った元バレーボール女子日本代表・鍋谷友理枝。周囲のサポートのおかげで、13年間もの現役生活を走り抜くことができた
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
L)Yohei Osada/AFLO SPORT R)Shigeki Yamamoto
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その一枚の紙に書かれた無機質な文字は、13年経った今も鍋谷友理枝の脳裏にはっきりと焼き付いている。
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名門・東九州龍谷高校のキャプテンとして春高バレー3連覇を達成し、2012年にデンソーエアリービーズに入団した鍋谷は、新人ながら日本代表に初選出された。当時18歳。しかし、胸を躍らせながら受けたメディカルチェックで、診断結果と共に渡された紙には先述の無機質な文字が記されていた。すぐに詳しい検査を受けると、彼女の人生を大きく変える病が発覚する。バセドウ病であった。
動悸や手の震え、異常な発汗や体重減少といった症状と向き合いながら、鍋谷は投薬治療を始めたが、症状は劇的に改善することはなかった。さらに甲状腺眼症による眼球突出も発症した。
「私も一緒に笑っていたけど『目、デカッ』とからかわれるたびに傷ついていました。でも病気だと明かせば、試合に出るチャンスがなくなると思っていたので周りの選手には(病気のことを)言えなかった」
バセドウ病の原因の一つに過度なストレスが挙げられている。練習や試合で負荷がかかればかかるほど数値や症状は悪化。同年にリーグデビューを飾ったが、症状と向き合いながらのプレーだった。
「朝と夜に6錠ずつ薬を飲んでいたんですけど、最初の薬が合わなくて蕁麻疹が出てしまったり……何をすれば治るのか、先が見えないことが何より苦しかったです」
2013年夏、鍋谷は眼球突出の治療のため入院した。病棟の休憩室のテレビ画面がふと目に入った。そこには日本代表のユニフォームを着て躍動する同世代の選手たちの姿があった。日本で開催されていたワールドグランプリの映像だった。
「私、なんで健康じゃないんだろう。なんで私はこんな身体なの?って親に八つ当たりしたこともありました」
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