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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「賛否両論あるとは思いますけど…」“NOAHのダークヒーロー”OZAWAにベテラン・丸藤正道の本音「もし俺が三沢さんに勝っていたら…」明かした後悔の理由
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堀江ガンツGantz Horie
photograph byGantz Horie
posted2025/07/16 17:00
インタビューに答える丸藤正道
丸藤はなぜフリーにならなかったのか?
三沢の死後、NOAHは苦難の連続だった。観客動員の低下は止まらず、主力選手の離脱、小橋の引退などが続いた。経営状況の悪化から会社の体制は何度も変わり、団体存続の危機が何度も噂された。
「三沢さんが亡くなったあとは、ずっと大変でしたよ。お客さんの数も選手の数も減って、(収容人数約1600人の)後楽園ホールに200人しか入らないこともあったし、地方に行ったら数列しか椅子が並んでなくて、それでもお客さんがまばらでしたから。
NOAHを残すためにいろんなことをやりましたけど、その度に『こんなのNOAHじゃない』『三沢さんだったらこんなことしない』というような言葉がたくさんあって、それはなかなか堪えましたけど。とにかく残すために必死にやってました」
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丸藤は若い頃から“天才”と呼ばれた選手。NOAHの経営が苦しくなる中、フリーとして独立していれば、他団体や海外で大活躍していた可能性も高い。実際に国内外のメジャー団体から丸藤個人への誘いはあったという。それでもNOAHに残り続けた理由をこう語る。
「俺にもプロレスラーとしての野心は当然ありますけど、今やるべきことはそれじゃないと思いました。また、大きかったのはやはり三沢さんとNOAHのファンの人たちの存在ですね。それがなければ、僕はもしかしたら他で自由にやっていたかもしれない。三沢さんが亡くなったあと、何か目に見えないバトンを受け取った気がしたんですよ。他に難しい理由はなくて、単純な理由だからこそ、やり続けられたのかなって。それをやらずして自分の存在意義ってあるのかなと思いましたしね」
武藤敬司「丸藤がいなかったら…」
NOAHの苦しい時代は10年以上続いたが、そんな中でも2010年代末には清宮海斗や拳王といった新世代が台頭。そして2020年1月、経営譲渡によりNOAHはIT大手サイバーエージェント傘下入り。同年9月からはサイバーエージェントのプロレス事業子会社、株式会社サイバーファイトのブランドとなり、ABEMAでの試合配信もスタート。2021年2月には超大物・武藤敬司がNOAHに入団。2023年の2・21東京ドームでの引退まで2年間、武藤の話題性によってさらに注目を集めるようになった。
その武藤もNOAHが苦しい時代の丸藤の貢献度を最大限にこう評価している。
「三沢社長が亡くなり、小橋が引退し、いろんな選手が離脱したあとも、“NOAHらしさ”がなくならなかったのは、丸藤が残ったからだよ。すげえ苦しい時期なんか、そこに丸藤がいなかったらNOAHをずっと応援してきた人も離れただろうし、そこで多分途切れていたよ。だから俺は“丸藤のNOAH”と言っても過言じゃないと思うよ」

