酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈電撃トレード物語〉リチャード⇔秋広優人+大江竜聖はホントに「大型」か…明暗クッキリ「世紀の大トレード」、巨人・張本勲は?
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byNanae Suzuki/JIJI PRESS
posted2025/06/30 17:05
リチャードと秋広優人。今年起きた電撃トレードだが、球史に残る大型トレード史を紐解くと…?
山内一弘 外野手 31歳 12年
1402試4895打1516安
262本876点88盗 率.310
本塁打王2回、打点王4回、首位打者1回、MVP1回、ベストナイン9回
小山正明 投手 29歳 11年
486登176勝136敗
2736.1回1944振 率2.24
最多奪三振1回、沢村賞1回
山内の262本塁打は、この時点でプロ野球最多。野村克也が233本と迫っていたが、現役最強打者と言ってよかった。大毎は、山内や榎本喜八、葛城隆雄などの強打者を擁し「ミサイル打線」が売りだった。しかしこの時期「守りの野球」への方向転換を考えていた。それを察した山内は、のちのFA制度の前身的な「10年選手制度」を利用して巨人への移籍を目指したが果たせなかった。
1年目は両者大活躍、だが2年目以降は明暗が
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阪神の小山は村山実とともにダブルエースとして活躍していた。小山は「一言居士」として知られ首脳陣にも直言することが多かったが、これが忌避されたと言われる。また阪神は、慢性的な貧打に悩んでいたが、守りの野球を目指していた大毎との思惑が一致して「世紀のトレード」が実現した。
翌1964年、阪神打線の主軸に座った山内は、打率こそ.257(22位)ながら31本塁打94打点をマークし、阪神の2年ぶりのリーグ優勝に貢献。小山もこの年、キャリアハイの30勝を挙げ最多勝(12敗)、361.1回、防御率2.47を記録した。「世紀の大トレード」は、移籍した両選手が期待通りの活躍をしたことで大成功とされた。
ただ、それ以降の成績は明暗が分かれる。
〈両選手の移籍先での通算成績〉
山内一弘 4年
522試1886打487安
87本276点21盗 率.258
小山正明 9年
355登140勝92敗
2088.1回1175振 率2.73
山内は阪神2年目以降、本塁打は20本以下。その卓越した打撃理論は阪神打者に大きな影響を与えたが、スタンドからは厳しいヤジも飛ぶようになり、5年目に無償トレードで広島に移籍した。広島では1年目に3割をマークし、ベストナインにも輝く。同じ右打者である山本浩二、衣笠祥雄に打撃理論を伝授した。山本浩二は山内の背番号「8」を継承した。
小山は30代後半になってもローテを維持し、成田文男、木樽正明、村田兆治とともに「4本柱」と呼ばれた。72年オフにトレードで大洋に移籍し引退した。
日本ハム→巨人の張本…じつは“放出された2人”も
世紀のトレード以降で最も世間を驚かせた大型トレードは――張本勲の日本ハム→巨人移籍だろう。しかし、じつは巨人から「放出された2人」にとっても、キャリアを踏まえると大きな転機となった。〈つづく〉

