プロ野球PRESSBACK NUMBER
球界唯一の“50歳現役”には「ラジコンが役立った」!? 中日レジェンド・山本昌が語った“40代でも大活躍”のワケ「ラジコンと知り合う前だったら…」
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/20 11:00
日本球界で唯一、「50代まで現役」を達成した元中日の山本昌。40代でも2度の2ケタ勝利をマークするなど長く活躍できた要因は…まさかのラジコン!?
小山の理論は神経系の伝達をうながすことで股関節や肩甲骨などの動きにしなやかさをもたらすもので、マリナーズなどで活躍したイチローも師事した。
重いものを用いて筋肉を鍛える当時の常識とは一線を画し、トレーニング界の革命だったと言っていい。「柔らかければ動きもよくなるし、そういう関節が何カ所も出てくれば、ボールひとつでもちがってきます」と山本昌は力説し、言葉を継ぐ。
「小山先生は野球をしたことがありません。僕がラジコンと知り合う前だったら『野球をやったことない人にわかるか!』で終わっていたかもしれません。ラジコンで頭が柔らかくなっていたから、多分、野球未経験の小山先生にお願いできたと思うんです」
趣味のおかげで「変わることを恐れなかった」
ADVERTISEMENT
当時は既に30歳を迎え、キャリアも重ねて守りに入ってもおかしくないところだ。
だが、山本昌は変わることを恐れなかった。オフの鳥取通いがはじまり、投球動作のメカニクスを研究した。肩関節の可動域が格段に向上したほか、好不調の理由を把握できるようになった。そして筋力だけに頼らないしなやかな動きこそが、のちに不惑を迎えたあとも直球の自己最速を更新するなど、長く第一線で投げつづけられる礎になった。
スティーブ・ジョブズが携帯電話と音楽プレーヤーを組み合わせてiPhoneを発明したように、時として異質なものの掛け算でイノベーションが起こる。
山本昌はラジコンがトリガーになって、当時はまだ野球界に浸透していなかったトレーニング理論に目を向けた。柔らかい発想と開明的な視点が「50歳現役」に導いたのである。
なにより山本昌のすごさが際立つのは、40代以降もチームの「戦力」として十分に機能していたことだ。お飾りのベテランではない。40代だけで46勝を挙げ、2桁勝利が2度(06、08年の11勝)もあった。
そして、白眉は41歳の時に起こったあの「奇跡の一戦」である。
<次回へつづく>

