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「キヨシ、今日は勝ったぞ!」“10・8決戦”を前にまさかの勝利宣言…数々の長嶋茂雄伝説を目撃した記者が明かす常識を超えた「長嶋野球のセオリー」
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鷲田康Yasushi Washida
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2025/06/04 17:02
1993年の開幕戦に勝利し、ウィニングボールとともに笑顔の長嶋茂雄監督
第1次監督時代の1977年4月19日。甲子園球場での阪神・巨人戦は巨人が1点のリードを許して9回に入った。2死から6番の土井正三が内野安打で出塁すると、長嶋はすかさず代走にルーキーの松本匡史、代打に山本功児を送った。
長打力のある山本の一打で、一塁から一気にホームを陥れる準備を整えたように見えた。ここまではセオリー通りである。
だが、長嶋はここでブックベースボールを排して、“ギャンブル”に出たのである。松本に盗塁のサインを出したのだ。期待に応えて松本は二盗に成功。すぐさま山本が中前に同点タイムリーを放った試合は、延長10回に2点を勝ち越し巨人の逆転勝ちとなった。
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ただこの采配には試合終了直後から批判的な声が湧き上がった。
「せっかく代打を送ったのに盗塁に失敗すればゲームセット。こんなバクチ的な采配をする長嶋は野球を知らない」
しかし長嶋野球の真骨頂は、ここにあった。
「負けゲームで常識に頼っていたら活路は開けないですからね」
後に長嶋に盗塁を選択した理由を聞いたことがある。
「2死一塁で1点を取るには2本のヒットが必要です。しかも打線は下位でした。そこで2本のヒットが出る確率と松本の盗塁成功率を秤にかけて、松本の足にかけたんですよ」
長嶋にとってみればこの作戦は決して“ギャンブル”ではなかった。確率論から導き出した最も可能性の高い決断だったのである。
この采配の正しさは、その後の野球界の“常識”が証明している。後にこの土壇場での盗塁という作戦は、今はどの監督も当たり前のように選択肢に入れるものとなっている。
長嶋が作り出した新しいセオリーだった。
「攻撃2番打者」を起用
同じように長嶋が切り開いた球界のトレンドには「攻撃的2番打者」というオーダー編成もあるだろう。
V9巨人の頃から日本の野球で2番打者の仕事は「つなぎ」で、バントやエンドランなどの小細工が上手い打者の打順というのが常識とされてきた。
そんな旧来のオーダー編成の常識に反旗を翻したのも長嶋だったのである。
長嶋は1998年に「バントと併殺の少ない攻撃的2番打者」として、左打ちの清水隆行を起用した。
東洋大学から95年のドラフト3位で入団した清水は1年目から左翼のレギュラーを獲得。97年には1番打者での起用も増え、規定打席に到達し打率3割4厘をマーク。そこで長嶋は98年に、兼ねてから構想していた「攻撃的2番打者」として抜擢したのである。
新しいオーダ編成の先駆けに
このシーズンは主に仁志敏久と1、2番コンビを組んで129試合に出場。打率3割1厘を記録した上で、犠打はわずか9つと「バントをしない2番打者」として機能した。

