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「キヨシ、今日は勝ったぞ!」“10・8決戦”を前にまさかの勝利宣言…数々の長嶋茂雄伝説を目撃した記者が明かす常識を超えた「長嶋野球のセオリー」 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2025/06/04 17:02

「キヨシ、今日は勝ったぞ!」“10・8決戦”を前にまさかの勝利宣言…数々の長嶋茂雄伝説を目撃した記者が明かす常識を超えた「長嶋野球のセオリー」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

1993年の開幕戦に勝利し、ウィニングボールとともに笑顔の長嶋茂雄監督

「今の野球は点を取れないと勝てないですから。1回にせっかく仁志が出塁して送りバントでは一気呵成にピッチャーを攻略できない。それより左で足もある清水なら、併殺の可能性も少ないし、何より打たせて一気に一、三塁、あるいは長打で1点という野球ができる。メジャーを見ても、こういう攻撃的な野球がこれからは主流になっていきますよ」

 もちろん守旧派の評論家からはかなりの批判を受けたが、長嶋は全く気にする気配はなかった。

 結果的にこの清水の2番起用がきっかけとなって、球界では「攻撃的2番」がクローズアップされることになった。翌99年には日本ハムが小笠原道大を2番に起用。長嶋野球が新しいオーダー編成の先駆けとなったわけである。

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 メジャーリーグでは昨年はロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平が2番を打ち、今季もニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジも2番を打つなど、2番はもはやチーム最強打者の定位置になりつつある。日本ではまだそこまでの普及度はないものの、DeNAでは牧秀悟が、オリックスでは西川龍馬が「2番打者」として起用されている。

 長嶋が先鞭をつけた「攻撃的2番打者」もまた、日本球界の新しい常識として根付きはじめているということだ。

「私の野球はジャズみたいなものです」

 2度目の監督に就任した1993年当時、球界は西武黄金時代の真っ最中だった。90年には藤田元司監督率いる巨人と西武が日本シリーズで激突。巨人は屈辱の4連敗で「球界の盟主」交代がまことしやかに囁かれ、巨人復興を掲げて監督に就任したのが長嶋だったのである。

 西武は球団買収から管理部長の根本陸夫の手でチーム作りに着手。指導者として広岡達朗と森祇晶というV9巨人の頭脳を注入し、巨人の野球をお手本に、教科書通りの野球で急激にチーム力を上げてきた。

「指揮者のタクト一本で整然と各パートが譜面通りに音楽を奏でるオーケストラが西武の野球だとしたら、私の野球はジャズみたいなものです。演奏のノリの中で様々なアドリブが飛び交う。しかし、しっかりと譜面通りにセオリーを押さえているから、アドリブが効果的な役割を果たすんです」

 94年の日本シリーズで西武を倒して巨人を再び日本一へと返り咲かせた長嶋は、自分の野球、長嶋野球をこう説明していた。

 常識を疑い、常識を超えたところに新しい野球の道は広がる。ブックベースボールはしないという長嶋の決意によって生まれた、セオリーを超えるセオリーである。

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