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あの広島ドラ1「先発→抑え→先発」1年間でビックリ配置転換…佐々岡真司が語る“こんなに違った”野球界の常識「無茶なことしてるな、浩二さん(笑)」 

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中島大輔

中島大輔Daisuke Nakajima

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photograph byL)Tadashi Hosoda、R)KYODO

posted2025/05/29 11:03

あの広島ドラ1「先発→抑え→先発」1年間でビックリ配置転換…佐々岡真司が語る“こんなに違った”野球界の常識「無茶なことしてるな、浩二さん(笑)」<Number Web> photograph by L)Tadashi Hosoda、R)KYODO

現役引退後は広島の監督も務めた佐々岡真司さん。現在は女子野球・三次ブラックパールズのGMを務めている

まさか…“先発に再転向”の真相

「1年目のピッチャーを先発させて、抑えをさせて、また先発。無茶なことをしていて、今なら叩かれまくるような起用法ですね(苦笑)」

 ただし、今とは異なる背景があった。この年の巨人は2位広島に22ゲーム差をつけて優勝するほど独走した一方、当時はクライマックスシリーズの導入前だった。

 事実上の消化試合となり、広島の山本監督は翌年を見据えて佐々岡を先発に再転向させたのだ。

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「抑えでも本当にやりがいのある経験をした中で、『来年のために先発』と言われて頑張ろうと思いました。最後に先発したのは新人王も懸かっていたからです。抑えで当時150キロを投げていた与田さんが本命というイメージはあったけれど、僕も獲れるかもしれないので最後、勝ちを積み重ねろと」

 先発に再転向した佐々岡は9月に3つの完投を記録し、初の月間MVPを受賞。10月はシーズン最終戦での完封を含め、3勝を挙げてプロ1年目を締めくくった。

 新人王は50試合でセ・リーグ最多の31セーブを記録した与田に譲ったが、佐々岡は44試合に登板して13勝11敗17セーブ、防御率3.15。セ・リーグ会長特別賞が贈られた。

「次の年は違うタイトルを絶対獲ってやる」。悔しさをバネに臨んだ2年目の1991年、佐々岡は有言実行して球界の頂点に登り詰める。インタビュー第3回に続く》

#3に続く
沢村賞を争ったのは「同期・野茂英雄」だった…あの“伝説回ドラフト”の広島1位指名・佐々岡真司がライバルを超えた日「18年の現役生活で一番投げた」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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