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あの広島ドラ1「先発→抑え→先発」1年間でビックリ配置転換…佐々岡真司が語る“こんなに違った”野球界の常識「無茶なことしてるな、浩二さん(笑)」
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中島大輔Daisuke Nakajima
photograph byL)Tadashi Hosoda、R)KYODO
posted2025/05/29 11:03

現役引退後は広島の監督も務めた佐々岡真司さん。現在は女子野球・三次ブラックパールズのGMを務めている
「無茶なことしてるな、浩二さん(笑)」
プロ3試合目は中6日で4月25日の阪神戦に8回からリリーフ登板し、延長12回まで4回1/3を投げた。次戦は中3日で4月29日、中日戦で先発して6イニングを投げている。さらに中5日で5月5日の巨人戦に先発すると、4日後には抑えに配置転換された。
投手の分業制が確立、故障予防に重きが置かれる現代野球では考えられないような起用法だ。
ただし、今の基準を35年前に当てはめても意味がない。時代が移りゆくなか、人々の価値観も変わっていくものだ。どちらが「正しい」のか、同じ土俵で比べられるものではない。
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「僕の記憶では、5月の終わりからリリーフに回りました」
佐々岡は35年前、プロ3試合目でいきなりリリーフ登板したことは覚えていないという。
「そんなことがあったんですか。無茶なことしてるな、(山本)浩二さん(笑)」
佐々岡がリリーフに回った裏には、前年、セ・リーグ最多の28セーブで最優秀救援投手に輝いた津田恒実の不調があった。佐々岡が振り返る。
「津田さんの調子が悪くて、『二軍に落としてくれ』と言うこともあったみたいです。リリーフが足りなくなり、浩二さんから新人の僕に『お前が抑えに行け』と言われました」
山本監督から言われた「まかす」
ハラスメントやコンプライアンスが重視される令和の今なら、「抑え、どうや?」と一言聞かれていたかもしれない。だが、当時は平成2年だ。起用法の相談ではなく、チームの決定事項を命じられた。
「監督にそう言われたら、『はい』しかないです。ましてや1年目で、『嫌です』と言う選手はいないと思いますし。今ならおるかもしれないけど(笑)」
ルーキーイヤーを懐古する佐々岡だが、本心ではどう感じたのか。
「すごくうれしかったです、逆に。1年目で、浩二さんは憧れの選手だったので。その人から頼られるというか、『まかす』って言われたので」
抑え初登板は5月9日、神宮球場でのヤクルト戦。1対0の8回、北別府の後を受けて2番手でマウンドに上がると、無失点で初セーブを記録した。
「北別府さんも200勝が懸かっていたし、一番怖い先輩でもあったんで。いきなり1点差でリリーフ。先発とは違う緊張を持ちながらマウンドに上がったのは鮮明に覚えています」
次戦は中5日で5月15日の中日戦。3対2で迎えた7回2死から1/3イニングを抑えると、雨天コールドで2セーブ目を記録した。
翌日の中日戦では4対1の9回1死から北別府が2ランを打たれた直後、2番手でマウンドへ。代打・広橋を三振に仕留めて連日の3セーブ目を飾った。