酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「打率.345、5戦連続本塁打」落合博満は二軍でも別格だった…「じつは1年目ほぼ一塁手」野村克也、王貞治や金田正一らのファーム成績は?
posted2025/05/18 11:03

落合博満と野村克也。彼らレジェンドが残した「二軍時代の成績」は?
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sankei Shimbun
日本球界で金字塔を打ち立てた金田正一、野村克也、王貞治に落合博満の「じつは知らない二軍時代の成績」は? 書籍『野球の記録で話したい』(新潮新書)から一部転載でご紹介します。<全4回/第1回からつづく>
金田正一は“巨人で1試合だけ”二軍で投げた
前述のようにNPBのファームは1950年代に誕生した。発足当時は試合数も各20試合から30試合と少なかった。また一軍と二軍の入れ替えも1年に1、2度しかなく、一軍と二軍の交流は非常に少なかった。しかし、そんな中でも、球史に残る大選手たちの大部分は多かれ少なかれ、二軍戦に出場している。
金田正一の二軍投手成績は以下の通り。
1965年 1登板0勝0敗6回3奪三振 防御率0.00
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史上最多400勝投手の金田正一が国鉄スワローズからデビューしたのは1950年、当時はまだ二軍の組織はなかったから、二軍出場はあり得なかった。しかし1965年「10年選手制度(現在のFA制度に似た制度)」を利用して巨人に移籍後、8月に左ひじを損傷して二軍落ち。金田は川上哲治監督に「もう治りました」と訴えるも川上監督は信用しない。
それなら、と二軍でのテスト登板をすることとなり、9月4日の多摩川グラウンドでのイースタン・リーグ巨人対東映戦のダブルヘッダー第2試合に先発。16年目での初の二軍登板となった。
事前に新聞が報じていたので2000人もの観客が押し寄せたが、6回無失点の好投。二軍の中尾碩志監督は遠征中の川上監督に「金田は使えます」と電話。早速、金田は一軍に合流することとなった。金田の生涯一度の二軍登板を見た観客は「幸運」だったと言えよう。
野村克也…じつは1年目、“ほぼ一塁手”だった
次に野村克也の二軍打撃成績(すべて南海時代)。