酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「打率.345、5戦連続本塁打」落合博満は二軍でも別格だった…「じつは1年目ほぼ一塁手」野村克也、王貞治や金田正一らのファーム成績は?
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広尾晃Kou Hiroo
photograph bySankei Shimbun
posted2025/05/18 11:03

落合博満と野村克也。彼らレジェンドが残した「二軍時代の成績」は?
1954年前 17試合51打数13安打
1本塁打5打点3盗塁 打率.255
1954年後 12試合21打数3安打
0本塁打1打点1盗塁 打率.143
1955年 24試合78打数25安打
1本塁打7打点2盗塁 打率.321
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1956年 1試合1打数1安打
0本塁打3打点0盗塁 打率1.000
計3年 54試合151打数42安打
2本塁打16打点6盗塁 打率.278
京都府立峰山高時代は全く無名だったが、恩師清水義一野球部長が南海の鶴岡一人監督を訪ね「野村の打撃を見てやってほしい」と懇願。鶴岡監督は「カベ(ブルペン捕手)なら使えるやろう」と野村を採用した。
しかしとってみると肩が弱く、捕手では使えないとなり、1年目、関西ファームリーグ(前後期制)ではほとんど一塁手として出場した。しかし打撃成績は平凡だったため、1954年オフに解雇が決定したが「クビなら南海電車に飛び込みます」とまで言って残留が決まる。
2年目の1955年にはウエスタン・リーグができたが、野村はこの年も一塁手で出場、打率はリーグ2位の.321を記録。ただこの年は一軍出場はなかった。翌56年2月のハワイキャンプには「カベ」として連れて行ってもらう。選手が「憧れのハワイ」に浮かれる中、野村だけは「今日は何個ボールを失いました」と鶴岡監督に律義に報告をして、人柄を認められる。
キャンプ帰りの空港で鶴岡監督は報道陣に「キャンプの収穫は野村だけや」と語った。この56年に正捕手の座をつかみ、戦後初の三冠王、史上2位の657本塁打など大捕手への道を歩み始めたのだ。
王の“二軍成績”は非公式戦の1試合だけ
最後は、巨人・王貞治とロッテ落合博満の「二軍打撃成績」である。
〈王の成績〉
1959年 1試合3打数1安打
0本塁打0打点0盗塁 打率.333
1957年春、早稲田実業の左腕エースとして甲子園の優勝投手となった王貞治だが、1959年に巨人入りすると春季キャンプ中に一塁手に転向した。しかし開幕後は全くの不振で「王、王、三振王」と言われる始末。
チームは何とか自信を付けさせたかったが、この年、イースタン・リーグは休止中。5月29日に多摩川グラウンドで行われた大映との非公式戦に王をスタメン出場させ、3打数1安打(二塁打)。これが唯一の「二軍成績(非公式)」となった。
打率.345、85戦19本塁打…落合は二軍でも凄かった
続いて、落合の成績。