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棋聖・藤井聡太22歳に挑む“遅咲き33歳”「永瀬拓矢に気迫の逆転」「落合博満の著書を読破」“米長邦雄最後の弟子”杉本和陽とは何者か
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph bySankei Shimbun/Nanae Suzuki
posted2025/05/11 06:00
棋聖戦で八大タイトル初の挑戦を決めた杉本和陽六段。藤井聡太七冠との戦いはどうなるか
藤井の師匠の杉本昌隆八段(56)と同姓だが、もちろん無関係である。私こと田丸と杉本は同じ佐瀬一門。ただ40歳近い年齢差があり、よく知らない棋士だった。そんな杉本の将棋を初めて調べてみると、粘り強くて雑草のような逞しさがあった。
杉本は1991年9月1日、東京都大田区の生まれ。6歳でアマ二段の父親から将棋を習った。2002年に全国小学生倉敷王将戦で優勝。03年の小学生名人戦では東日本大会でベスト2に入り、準決勝・決勝に勝って優勝した。同年の上位進出者には、後年に棋士、女流棋士になった菅井竜也、斎藤慎太郎、西田拓也、佐々木大地、里見香奈らがいた。
師匠・米長に比べれば自分の苦労なんて小さいもの
杉本は03年9月に米長邦雄永世棋聖の門下で奨励会に6級で入会。その前に米長門下の有段者と互角に戦っていたので、米長は「最後の弟子にしたい」と杉本を入門させたという。
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入会から5年後に17歳で三段に昇段。10代後半の頃は、焼き肉食べ放題の店で夕食後、千駄ヶ谷の将棋会館で奨励会員と朝まで指し続ける日々だったという。
三段リーグでは毎期のように好成績を挙げた。しかし昇段争いからいつも脱落し、苦難の道程となった。12年12月には師匠の米長が69歳で死去し、以後は兄弟子の中川大輔八段(56)らが代師匠を務めた。13期目に3位で次点に入った。そして17期目の三段リーグ最終日の17年3月。12勝6敗で2位に入り、年齢制限ぎりぎりの25歳で四段に昇段して棋士になった。奨励会在籍は13年半に及んだ。当日は兄弟子の中村太地六段(当時28)らがお祝いに駆けつけた。
杉本は「師匠の米長は7回目の挑戦で名人になった。その艱難辛苦に比べれば、自分の苦労なんて小さいもの。そう言い聞かせてきました。師匠の墓前にいい報告ができるのがうれしい」と、将棋雑誌に喜びを綴った。
棋士になった年齢、伸びしろに抗いたい
私は遅咲きの杉本六段のことを、優秀な若手棋士たちの間で埋もれた存在と思っていた。
実際に順位戦では最下級のC級2組に8期連続で止まっている。ただ1期目は4勝6敗で負け越したが、以降はほぼ勝ち越している。公式戦の通算成績は213勝126敗(5月7日時点)で、6割2分8厘の勝率。24年度の成績は40勝17敗で、勝率は7割を超えた。30代に入って精神的に落ち着いてきたのも好調の要因だという。また、竜王戦は着実に昇進していて、現在は4組の所属。杉本はこのように語ってもいる。

