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「140kmも出なくなって…」95年ヤクルト“最強ローテ”の山部太がサイドスロー転向で見せた意地…1年だけの輝きの後に「細く長く、よくやったな」
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二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/05/10 11:04
現在はスワローズの編成部でプロスカウトを務める山部。チームカラーに合う選手を再生させる目利きには定評がある
「元々コントロールのいいピッチャーじゃないので、球威がなくなるっていうところは凄く寂しさはありました。肩が戻るかもしれないなとちょっと期待を抱いた時期もありましたけど、もう限界を感じて投げ方を変えよう、と。
本当はスリークォーターくらいで投げたかったのに、結構横投げになっていましたね。今みたいにスーパースローもないし、コマ送りでもコマの間が長いから、自分が見たいポイントをなかなかチェックできない。投げ方を変えるのもかなり苦労しました」
イメチェンで好成績をあげた03年
試行錯誤が続くなか、復活を遂げたのが2003年シーズンであった。中継ぎに完全転向して、プロに入って最多となる34試合に登板。速球の代わりに、変化球を駆使した投球術で防御率1.05という好成績を残している。剛から柔へのイメチェンに成功したのだ。
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「あのときは横じゃなく、それこそスリークォーターにしてシンカーを投げ始めたんです。真っ直ぐはもう140km出なくなりましたけど、シンカーと縦の緩いカーブを使いながら有利なカウントで投げることが多かった。勝ちパターンでも使ってもらっていたので、95年はもちろんですけど、この年も充実していました。何よりピッチングの楽しさが分かりましたから」
新境地の意味
ピッチングの楽しさ、とはどういうことか。山部が言葉をつなぐ。
「経験を積んできてゲッツーが欲しいときはこういうところに投げようとか、このバッターならこう攻略しようとかできるようになっていました。1995年のころなんて、言ったらピッチングマシーンみたいなもの。古田(敦也)さんのサインどおりに投げるっていうことだけなんで自分であまり考えてない。そういう意味では2003年のときは、考えて楽しんで投げている自分がいましたね」


