1995年の日本シリーズ、対オリックス第2戦。山部太はロングリリーフで勝利を挙げて野村克也監督に迎えられる / photograph by Takahiro Kohara 1995年の山部は、右打者の内角をえぐるアグレッシブなスタイルで勝ち星を重ねた ©Koji Asakura 現在はスワローズの編成部に勤務する山部 ©Hideki Sugiyama 石井一久。高卒ドラフト1位から力をつけ、95年には13勝と初の2桁勝利を挙げた ©Kazuaki Nishiyama 95年のイチローは打率.342、25本塁打、80打点、49盗塁。あとホームラン3本で三冠王という凄まじい成績だった ©Naoya Sanuki 95年日本シリーズ第2戦にリリーフで登板した山部 ©Kazuaki Nishiyama 11回表にトーマス・オマリーの勝ち越し弾が飛び出すと、山部はその裏まで4イニングを投げ切って勝利投手となり、野村監督と握手 ©Takahiro Kohara 歓喜の胴上げの輪に初めて加わった ©Takahiro Kohara 1993年のドラフト1位でヤクルトに入団した山部太。95年に16勝と鮮烈な活躍を見せたが、その後長く故障と戦った男の野球人生を聞いた ©Koji Asakura 山部太。1995年には16勝7敗、防御率3.83。2度の完封勝利も記録した ©Koji Asakura 少年時代から野球人生を振り返ってくれた現在の山部 ©Hideki Sugiyama 1988年のセンバツで優勝した強豪、宇和島東高 ©JIJI PRESS 1993年、前年度の日本シリーズで激闘の末西武に敗れた借りを返し、日本一となったヤクルト ©Masato Daito 山部の前年度のドラフト1位・伊藤智仁は前半戦だけで故障離脱したものの、4完封を含む7勝、防御率0.91という驚異的な活躍で新人王を獲得 ©Kazuaki Nishiyama ルーキーイヤーこそ不本意な結果だったが山部は手応えを感じ始めていた ©Koji Asakura 「ID野球」を掲げて90年代ヤクルト「中興の祖」となった故・野村克也監督。野村イズムは今もスワローズに生きている ©Takao Yamada 1992年頃の野村克也監督 ©Koji Asakura ノムさんのお茶目な表情 ©Keiji Ishikawa 野村野球の申し子、古田敦也。90年代の黄金時代の中核だった。強肩強打で3割を8度も記録 ©Koji Asakura 宝刀シンカーを武器に絶対的クローザーを務めた高津臣吾。NPB通算286セーブ、セーブ王4度。監督としても2021、22年にリーグ連覇を果たす ©Koji Asakura 全盛期の高津-古田の黄金バッテリー ©Tadashi Shirasawa 古田敦也と高津臣吾の黄金バッテリー ©Naoya Sanuki 「ブンブン丸」から背番号1を継承して「ミスター・スワローズ」となった池山隆寛の若手時代 ©Naoya Sanuki 1995年に巨人にFA移籍するまで不動の4番だった広沢克己。池山との「イケトラコンビ」で野村ヤクルトを引っ張った ©Koji Asakura 飯田哲也。野村監督に俊足強肩を見出されて捕手→二塁手→中堅へコンバート。長く1番打者を務め「足なら誰にも負けない 韋駄天飯田」と歌われた ©Takahiro Kohara 1995年日本シリーズで、中嶋聡の守るホームに突入する真中満。のちにふたりとも監督となりリーグ優勝を果たすことになった ©Takahiro Kohara 1988年ドラフト1位の川崎憲次郎。故障で苦しんだのちにシュートを覚えて復活、98年には17勝を挙げて最多勝を獲得した ©Kazuaki Nishiyama 1989年ドラフト1位の西村龍次。入団から4年連続2桁勝利をマーク ©Kazuaki Nishiyama 1990年ドラフト1位の岡林洋一。史上屈指の名シリーズ、92年の対西武でエースとして第1、4、7戦に完投した激投は忘れ難い ©Naoya Sanuki 1991年ドラフト1位の石井一久。最初のヤクルト時代に5度の2桁勝利をマークし、2002年移籍したドジャースでも先発として活躍した ©Hideki Sugiyama 1992年ドラフト1位の伊藤智仁。「高速スライダー」を武器に圧倒的投球で93年の新人王を獲得したが、その後長く故障と戦うことに ©Koji Asakura 1985年ドラフト1位の伊東昭光。88年にクローザーとして18勝を挙げ、史上初の「オール救援、規定投球回数未達」での最多勝という珍しい記録を樹立 ©Hideki Sugiyama 1990、91年の開幕投手を務め「ギャオス」のニックネームで人気を博した内藤尚行 ©Koji Asakura 1982年ドラフト1位で「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした荒木大輔。長く故障に苦しんだが92年途中の復活登板でチームを勢いづけ優勝に導いた ©Kazuaki Nishiyama 土橋勝征。堅実な守備とバットを短く持っての粘り強い打撃で、90年代〜00年代半ばまでヤクルト一筋に支えた功労者。村上春樹の“推し”としても知られる ©Koji Asakura 2015年、監督に就任するといきなり2年連続最下位だったスワローズを優勝に導いた真中満氏の“合理的マネジメント”とは? ©Hideki Sugiyama つらい時期の思い出もユーモアたっぷりに話してくれた真中氏 ©Yuki Suenaga 次々と画期的な施策を打ち出した真中監督 ©Hideki Sugiyama インタビューに答える現在の真中氏 ©Yuki Suenaga 2014年に29本塁打をマークしてブレークした山田哲人は、2015年トリプルスリーを記録することに ©Nanae Suzuki 2015年41セーブでセーブ王を獲得したバーネット ©Hideki Sugiyama 2015年、雄平(右端)のサヨナラ打で優勝決定。前代未聞、神宮球場の外野でビールかけが行われた ©Hideki Sugiyama 真中監督「安堵」の胴上げ ©Hideki Sugiyama 1997年日本シリーズ第2戦。このシリーズ全試合に1番センターで出場した真中満が野村克也監督から受けた影響は大きいという ©Hideki Sugiyama 1997年の日本シリーズでの真中 ©Koji Asakura 1997年のヤクルトには自由さもあった。真中と一緒に勝利を喜ぶデュウェイン・ホージーは底抜けの明るさで人気者だった ©Kazuaki Nishiyama ©Naoya Sanuki 野村監督はマスコミを使って選手にメッセージを伝えるのが上手かった ©Koji Asakura 2015年シーズンから一軍の指揮をとることに ©Hideki Sugiyama いかにも監督らしい監督だった野村克也 ©Kazuaki Nishiyama 1998年、脂の乗っていた頃の真中満 ©Hideki Sugiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズ第1戦に勝利したヤクルトナイン ©Hideki Sugiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Takahiro Kohara 1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Takahiro Kohara 1995年、オリックスとの日本シリーズ第2戦での真中満の走塁 ©Kazuaki Nishiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズでの真中満 ©Kazuaki Nishiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズでの真中満 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真1/8】1995年、オリックスとの日本シリーズでの真中満 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真2/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真3/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真4/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真5/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真6/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真7/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真8/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中 ©Kazuaki Nishiyama 1997年、西武との日本シリーズでの真中のバッティング ©Koji Asakura 1997年、西武との日本シリーズでの真中の守備 ©Koji Asakura 1997年、西武との日本シリーズに勝利して日本一の胴上げ。野村克也監督にとっては最後の優勝だった ©Koji Asakura 1997年、西武との日本シリーズに勝利。古田敦也、高津臣吾、石井一久らの姿が見える ©Koji Asakura 1998年まで指揮をとった野村イズムはスワローズに色濃く残っていた ©Takao Yamada  ©Hideki Sugiyama 95年の日本シリーズでは中継ぎで活躍して日本一に貢献した ©Kazuaki Nishiyama サイドに近いあたりまで腕を下げるフォームに変更した山部。2001年には背番号も30に変わった ©JIJI PRESS 現役時代を振り返る山部 ©Hideki Sugiyama 圧倒的強肩とリードで投手陣から絶大な信頼を得ていた古田敦也(右) ©Koji Asakura 山部が獲得した今野龍太はブルペン陣の一角として2021年、22年の連覇に大きく貢献した ©Naoya Sanuki 1995年の輝きとその後の奮闘は今も色褪せない ©Koji Asakura 振りかぶる動作なんていつ以来だっけ、と苦笑する山部だが、鍛えられた体型は変わらない ©Hideki Sugiyama

現在はスワローズの編成部に勤務する山部 ©Hideki Sugiyama

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1995年の日本シリーズ、対オリックス第2戦。山部太はロングリリーフで勝利を挙げて野村克也監督に迎えられる / photograph by Takahiro Kohara 1995年の山部は、右打者の内角をえぐるアグレッシブなスタイルで勝ち星を重ねた ©Koji Asakura 現在はスワローズの編成部に勤務する山部 ©Hideki Sugiyama 石井一久。高卒ドラフト1位から力をつけ、95年には13勝と初の2桁勝利を挙げた ©Kazuaki Nishiyama 95年のイチローは打率.342、25本塁打、80打点、49盗塁。あとホームラン3本で三冠王という凄まじい成績だった ©Naoya Sanuki 95年日本シリーズ第2戦にリリーフで登板した山部 ©Kazuaki Nishiyama 11回表にトーマス・オマリーの勝ち越し弾が飛び出すと、山部はその裏まで4イニングを投げ切って勝利投手となり、野村監督と握手 ©Takahiro Kohara 歓喜の胴上げの輪に初めて加わった ©Takahiro Kohara 1993年のドラフト1位でヤクルトに入団した山部太。95年に16勝と鮮烈な活躍を見せたが、その後長く故障と戦った男の野球人生を聞いた ©Koji Asakura 山部太。1995年には16勝7敗、防御率3.83。2度の完封勝利も記録した ©Koji Asakura 少年時代から野球人生を振り返ってくれた現在の山部 ©Hideki Sugiyama 1988年のセンバツで優勝した強豪、宇和島東高 ©JIJI PRESS 1993年、前年度の日本シリーズで激闘の末西武に敗れた借りを返し、日本一となったヤクルト ©Masato Daito 山部の前年度のドラフト1位・伊藤智仁は前半戦だけで故障離脱したものの、4完封を含む7勝、防御率0.91という驚異的な活躍で新人王を獲得 ©Kazuaki Nishiyama ルーキーイヤーこそ不本意な結果だったが山部は手応えを感じ始めていた ©Koji Asakura 「ID野球」を掲げて90年代ヤクルト「中興の祖」となった故・野村克也監督。野村イズムは今もスワローズに生きている ©Takao Yamada 1992年頃の野村克也監督 ©Koji Asakura ノムさんのお茶目な表情 ©Keiji Ishikawa 野村野球の申し子、古田敦也。90年代の黄金時代の中核だった。強肩強打で3割を8度も記録 ©Koji Asakura 宝刀シンカーを武器に絶対的クローザーを務めた高津臣吾。NPB通算286セーブ、セーブ王4度。監督としても2021、22年にリーグ連覇を果たす ©Koji Asakura 全盛期の高津-古田の黄金バッテリー ©Tadashi Shirasawa 古田敦也と高津臣吾の黄金バッテリー ©Naoya Sanuki 「ブンブン丸」から背番号1を継承して「ミスター・スワローズ」となった池山隆寛の若手時代 ©Naoya Sanuki 1995年に巨人にFA移籍するまで不動の4番だった広沢克己。池山との「イケトラコンビ」で野村ヤクルトを引っ張った ©Koji Asakura 飯田哲也。野村監督に俊足強肩を見出されて捕手→二塁手→中堅へコンバート。長く1番打者を務め「足なら誰にも負けない 韋駄天飯田」と歌われた ©Takahiro Kohara 1995年日本シリーズで、中嶋聡の守るホームに突入する真中満。のちにふたりとも監督となりリーグ優勝を果たすことになった ©Takahiro Kohara 1988年ドラフト1位の川崎憲次郎。故障で苦しんだのちにシュートを覚えて復活、98年には17勝を挙げて最多勝を獲得した ©Kazuaki Nishiyama 1989年ドラフト1位の西村龍次。入団から4年連続2桁勝利をマーク ©Kazuaki Nishiyama 1990年ドラフト1位の岡林洋一。史上屈指の名シリーズ、92年の対西武でエースとして第1、4、7戦に完投した激投は忘れ難い ©Naoya Sanuki 1991年ドラフト1位の石井一久。最初のヤクルト時代に5度の2桁勝利をマークし、2002年移籍したドジャースでも先発として活躍した ©Hideki Sugiyama 1992年ドラフト1位の伊藤智仁。「高速スライダー」を武器に圧倒的投球で93年の新人王を獲得したが、その後長く故障と戦うことに ©Koji Asakura 1985年ドラフト1位の伊東昭光。88年にクローザーとして18勝を挙げ、史上初の「オール救援、規定投球回数未達」での最多勝という珍しい記録を樹立 ©Hideki Sugiyama 1990、91年の開幕投手を務め「ギャオス」のニックネームで人気を博した内藤尚行 ©Koji Asakura 1982年ドラフト1位で「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした荒木大輔。長く故障に苦しんだが92年途中の復活登板でチームを勢いづけ優勝に導いた ©Kazuaki Nishiyama 土橋勝征。堅実な守備とバットを短く持っての粘り強い打撃で、90年代〜00年代半ばまでヤクルト一筋に支えた功労者。村上春樹の“推し”としても知られる ©Koji Asakura 2015年、監督に就任するといきなり2年連続最下位だったスワローズを優勝に導いた真中満氏の“合理的マネジメント”とは? ©Hideki Sugiyama つらい時期の思い出もユーモアたっぷりに話してくれた真中氏 ©Yuki Suenaga 次々と画期的な施策を打ち出した真中監督 ©Hideki Sugiyama インタビューに答える現在の真中氏 ©Yuki Suenaga 2014年に29本塁打をマークしてブレークした山田哲人は、2015年トリプルスリーを記録することに ©Nanae Suzuki 2015年41セーブでセーブ王を獲得したバーネット ©Hideki Sugiyama 2015年、雄平(右端)のサヨナラ打で優勝決定。前代未聞、神宮球場の外野でビールかけが行われた ©Hideki Sugiyama 真中監督「安堵」の胴上げ ©Hideki Sugiyama 1997年日本シリーズ第2戦。このシリーズ全試合に1番センターで出場した真中満が野村克也監督から受けた影響は大きいという ©Hideki Sugiyama 1997年の日本シリーズでの真中 ©Koji Asakura 1997年のヤクルトには自由さもあった。真中と一緒に勝利を喜ぶデュウェイン・ホージーは底抜けの明るさで人気者だった ©Kazuaki Nishiyama ©Naoya Sanuki 野村監督はマスコミを使って選手にメッセージを伝えるのが上手かった ©Koji Asakura 2015年シーズンから一軍の指揮をとることに ©Hideki Sugiyama いかにも監督らしい監督だった野村克也 ©Kazuaki Nishiyama 1998年、脂の乗っていた頃の真中満 ©Hideki Sugiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズ第1戦に勝利したヤクルトナイン ©Hideki Sugiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Takahiro Kohara 1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Takahiro Kohara 1995年、オリックスとの日本シリーズ第2戦での真中満の走塁 ©Kazuaki Nishiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズでの真中満 ©Kazuaki Nishiyama 1995年、オリックスとの日本シリーズでの真中満 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真1/8】1995年、オリックスとの日本シリーズでの真中満 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真2/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真3/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真4/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真5/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真6/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真7/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中。捕手は中嶋聡 ©Kazuaki Nishiyama 【連続写真8/8】1995年、オリックスとの日本シリーズで本塁突入する真中 ©Kazuaki Nishiyama 1997年、西武との日本シリーズでの真中のバッティング ©Koji Asakura 1997年、西武との日本シリーズでの真中の守備 ©Koji Asakura 1997年、西武との日本シリーズに勝利して日本一の胴上げ。野村克也監督にとっては最後の優勝だった ©Koji Asakura 1997年、西武との日本シリーズに勝利。古田敦也、高津臣吾、石井一久らの姿が見える ©Koji Asakura 1998年まで指揮をとった野村イズムはスワローズに色濃く残っていた ©Takao Yamada  ©Hideki Sugiyama 95年の日本シリーズでは中継ぎで活躍して日本一に貢献した ©Kazuaki Nishiyama サイドに近いあたりまで腕を下げるフォームに変更した山部。2001年には背番号も30に変わった ©JIJI PRESS 現役時代を振り返る山部 ©Hideki Sugiyama 圧倒的強肩とリードで投手陣から絶大な信頼を得ていた古田敦也(右) ©Koji Asakura 山部が獲得した今野龍太はブルペン陣の一角として2021年、22年の連覇に大きく貢献した ©Naoya Sanuki 1995年の輝きとその後の奮闘は今も色褪せない ©Koji Asakura 振りかぶる動作なんていつ以来だっけ、と苦笑する山部だが、鍛えられた体型は変わらない ©Hideki Sugiyama

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