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「立浪和義の同期」じつは“もうひとりいた”中日の高卒スーパールーキー「あの伊良部秀輝より速かった剛速球」「不敗神話で優勝に貢献」上原晃の伝説
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph bySankei Shimbun
posted2025/05/04 11:04
プロ1年目、当時19歳の上原晃。全身を大きく使った豪快なフォームで快速球を投げ込んだ
躍動感溢れる荒削りなフォームから、150km前後の剛速球が小気味よいテンポで投げ出されるピッチングスタイルは圧巻で、見る者のハートを撃ち抜いた。上原はニコニコしながらも悔しそうに話す。
「最終戦まで防御率1点台だったんだけど、優勝後の消化試合、星野さんはこの年に活躍したピッチャーを全員投げさせたんですよ。たしかそのヤクルト戦でスリーランを打たれて、2点台になっちゃったんだよね」
立浪と上原…優勝に貢献した“ふたりの高卒ルーキー”
この年、中日は2位巨人に12ゲーム差をつけて優勝を果たした。ペナントレースは2人の新人、ドラフト1位の立浪と3位の上原の活躍なしでは語れない。プロ野球の長い歴史を紐解いても、同じチームで投手と野手の高卒ルーキーが活躍して優勝したのは、88年の中日しかないのではないか。
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ルーキーイヤーは24試合3勝2敗1セーブ、46イニングを投げて防御率2.35。上原は「甲子園を沸かせた悲運のヒーロー」から、若きドラゴンズの「Vへの使者」へと変貌を遂げた。
西武との日本シリーズでも第1戦と第4戦に投げている。
「第4戦で、清原さんにバックスクリーンにホームランを打たれた。めっちゃ悔しかったですね。一番投げちゃいけない球だった。清原さんはインハイとアウトローの対角線を攻めるのがひとつの鉄則で、一番好きなのがスライダー。きっちり投げなきゃいけないのに、スライダーが真ん中に入ってしまった。その後のミーティングでめちゃくちゃ怒られた記憶があります。なかなか思い通りにはいかないというか……正直、日本シリーズではちょっとへばってましたね」
2試合に登板し、防御率は9.00。上原の不調がそのままシリーズの結果に反映したかのように、4勝1敗で西武が日本一となった。
だが、これは予兆に過ぎなかった。飛ぶ鳥を落とす勢いで階段を駆け上った上原は、翌年以降、長い苦悩を味わうことになる。
<第3回に続く>

