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星野仙一が強烈ビンタ「明日から二軍へ行け」フォローなしの非情宣告…「立浪和義は殴られてない。うまいもん」元中日・上原晃が語る“本当の星野監督”

posted2025/05/04 11:05

 
星野仙一が強烈ビンタ「明日から二軍へ行け」フォローなしの非情宣告…「立浪和義は殴られてない。うまいもん」元中日・上原晃が語る“本当の星野監督”<Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

1988年に監督就任2年目で中日を優勝に導いた“闘将”星野仙一。上原晃も鉄拳制裁を受けたことがあるという

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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Kazuhito Yamada

 1988年、高卒1年目の上原晃は24試合を投げて3勝2敗1セーブ、防御率2.35の好成績を残し、同期の立浪和義と共に中日ドラゴンズのリーグ優勝に貢献した。だが、翌年以降、その輝きは急激に色あせていく。将来を嘱望されたスーパールーキーの歯車はなぜ狂ってしまったのか。「星野仙一に殴られた日」の鮮明な記憶とあわせて、葛藤を味わった現役時代を振り返る。(全4回の3回目/#1#2#4へ)

輝きを失った2年目以降…いったい何が起きた?

 甲子園のスターが、プロ野球でスターになる。

 高卒1年目の1988年。若く、猛々しいピッチングで中日の優勝に貢献した上原晃は、そんなサクセスストーリーを体現する存在だった。

 投手の力量を見抜く慧眼を持つ落合博満が「4年したら20勝ピッチャーだ」と予見するほど、ルーキーイヤーの上原は無限の可能性を秘めていた。だが2年目以降、一気に輝きを失い、完全に低迷した。いったい、何が変わってしまったのか。上原は落ち着いた口調でこう語る。

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「1年目はやっぱり勢いだけで投げていて、地力はついてなかった。冷静に自己分析できていれば、もっと長い間野球ができたのかなという思いはありますよね。全身を使って投げる分、勢いのある球はいきますけど、どうしても暴れてしまう。コントロールも含めて安定して強い球を投げるためにゆったりとしたフォームにしようとしていましたけど、なかなか自分のリズムに合わなくて失敗したのはありますね」

 実は1年目の終盤からピッチングに苦しんでいた。先天的に右肩と右の背筋が強すぎるため上体のバランスを崩し、コントロールが定まらず、失投を痛打されるケースがシーズン終盤に目立った。2年目のキャンプでは、投げる際に両肩が平行になる習慣をつけさせるためフォーム改造に取り組む。

「1年目にあれだけ活躍したので、それ以上を求めてしまい、自分のなかで失敗しても開き直ることができなかったんです。1年目にチーム事情でセットアッパーに回ったけど、本来はしっかり体調を整えて計算してやっていく先発完投タイプ。2年目のシーズンの最初にポンポンと勝ち星が付けば、そのまま波に乗れていたのかもしれない……」

 上原は2年目から先発に転向(22試合のうち13試合に先発)するも4勝5敗、防御率4.46と振るわず。首脳陣はもとよりファンの期待を大きく裏切った。

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