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「ドラフト1位なら考えますよ」PL学園・清原和博を外した阪神が指名した“強気な高校生”…巨人キラー遠山奬志がスーパールーキーだった頃 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byKYODO,NumberWeb

posted2025/04/30 17:01

「ドラフト1位なら考えますよ」PL学園・清原和博を外した阪神が指名した“強気な高校生”…巨人キラー遠山奬志がスーパールーキーだった頃<Number Web> photograph by KYODO,NumberWeb

巨人戦の思い出を振り返った遠山奨志(57歳)。この春から京都廣學館野球部のコーチを務めている

 怪我をきっかけに不調に陥り、2年目は9試合の登板で0勝3敗、防御率5.96に終わる。3年目以降は主に中継ぎを務めるが、次第に出場機会を減らし、プロ5年目、1990年のオフに高橋慶彦との交換トレードでロッテに移籍した。

 しかし移籍後も伸び悩み、95年に野手に転向するが、97年のオフに戦力外通告を受ける。

 それでも遠山は野球人生を諦めない。「やりたければ納得いくまでやったら?」という妻の言葉にも後押しされ、古巣・阪神の入団テストを受け、投手として再入団を果たした。

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 最初は成り行きで、渋々足を踏み入れたプロの世界に、何がなんでもとしがみつき、もがく遠山がいた。

 そして再入団2年目の1999年、野村克也監督と出会った。

第2回につづく〉

#2に続く
「130キロで松井秀喜をどう封じるか」クビ寸前の31歳はなぜ巨人キラーに? 野村再生工場の最高傑作・遠山奬志「最後、松井にウソついた」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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