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「“そめみん”は別世界の人だった…」巴投げ最強・角田夏実が勝てなかった“天才”はなぜ柔道界から姿を消したのか?「小学生の角田に“30秒”で一本勝ち」
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph byL)Naoki Nishimura/AFLO SPORT,R)Kiichi Matsumoto
posted2025/04/25 17:00

パリ五輪・柔道女子48kg級の金メダリスト・角田夏実が“天才”と名前を挙げた染宮杏子さん(右)
「その大会で優勝した武村(綾華)さんには中学時代ずっと勝てなかったんです。この大会も彼女の対策を徹底的に行って臨んだんですが、対戦する前に準決勝で高市未来さん(旧姓・田代、リオ・東京・パリ五輪63kg級代表)に敗れてしまって。高市さんとは練習試合で何度か対戦したことがあったんですが、その時はすべて私が勝っていたのに。だからどこか油断があったというか……正直、下に見ていたんだと思います。実力不足を痛感しましたね。なによりも、一緒に戦ってくれた先生や仲間たちに金メダルを持って帰れなかった自分自身に不甲斐なさを感じましたし、お世話になった人たちへの申し訳なさでいっぱいでした」
「バチーンと大きな音がして…」
さらに柔道に打ち込みたいと意気揚々と千葉明徳高へと進学した染宮さんだったが、その矢先、想定外のアクシデントに見舞われてしまう。
練習で自分よりも上の階級の選手に技をかけた際に膝にのられてしまったのだ。
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「周りにいた誰もが、大怪我だと分かるくらいバチーンという大きな音がして。その日はちょうど土日で父が練習を見に来ていたんですが、いつもならどこか痛いといっても多少のことであれば『できるよな』と言ってくるのに、このときは明らかに様子がおかしくてすぐに病院に連れて行ってくれました。ただ事じゃないんだろうなと悟りましたね。それでもこのときはまだ“少し休めばできるだろう”くらいの気持ちだったんです」
診断結果は左膝の前十字じん帯断裂。目の前が真っ暗になった。
その後すぐに手術、リハビリと競技復帰へ向けたプログラムをスタート。顧問から柔道着を着用することが認められたのは半年以上も先のことだった。それでも心が折れずにいられたのは元プロ野球選手で自身も怪我を経験している父の言葉が支えになっていたからだ。
「『怪我はチャンスだ』と教えられてきました。競技に一生懸命取り組んでいるときは気づかないところもある。だからリハビリの時間は自分の弱点を重点的に鍛えられる機会になる、と。だから怪我をマイナスに捉えるなとよく言われていましたね」
父の言葉以外にも染宮さんを奮い立たせていたものがある。それが角田の存在だった。
〈つづき→後編〉

