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「“そめみん”は別世界の人だった…」巴投げ最強・角田夏実が勝てなかった“天才”はなぜ柔道界から姿を消したのか?「小学生の角田に“30秒”で一本勝ち」
 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

PROFILE

photograph byL)Naoki Nishimura/AFLO SPORT,R)Kiichi Matsumoto

posted2025/04/25 17:00

「“そめみん”は別世界の人だった…」巴投げ最強・角田夏実が勝てなかった“天才”はなぜ柔道界から姿を消したのか?「小学生の角田に“30秒”で一本勝ち」<Number Web> photograph by L)Naoki Nishimura/AFLO SPORT,R)Kiichi Matsumoto

パリ五輪・柔道女子48kg級の金メダリスト・角田夏実が“天才”と名前を挙げた染宮杏子さん(右)

 小学生の頃、勝ちにこだわるよりも柔道の基本を学ぶことを重視していた道場の方針もあって関東大会や全国大会など主要大会には出場しなかった。それでも、規模が大きかろうが小さかろうが試合になれば、当時絶対的な自信を持っていた得意の内股を武器に性別も体重差も関係なく勝ちに行き、無双状態だったという。

 角田ともその頃に3、4度対戦しているが、角田が「まったく敵わなかった」と記憶するように、いずれも30秒以内で内股または大外刈りで染宮さんが勝利を収めている。

父はプロ野球選手「全国3位でも満足できない」

 実は、染宮さんの祖父は柔道の師範代で、父はヤクルトスワローズに在籍していた元プロ野球選手。スポーツ一家で育った。染宮さん自身も2000年シドニー五輪の谷(田村)亮子の金メダルに憧れ、小2で柔道を始めた。当時は谷と同じ前髪をちょこんと結んだ“ちょんまげヘア”がトレードマークだった。

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 地元の中学校に柔道部がなかったため学区外の強豪中学へ進学。仲の良い友達が一人もいない環境だったが、練習に没頭して柔道の技を磨いた。染宮さんは当時の記憶のほとんどが「柔道に関わることばかりだった」と苦笑する。

「父もプロの世界にいた人間だったこともあって、小学校高学年頃からよくスポーツで上を目指したいのなら、他の人が寝ている時間に努力しなさいと言われていましたし、遊ぶのは後でもできるから今は柔道を頑張れとも言われました。私自身も部活の時間だけでは足りないと思っていたので帰宅してから自主練をしていましたね。友だちと過ごす時間は小学生の頃からほとんどなかったような気がします」

 そんなストイックな日々の積み重ねが結果につながり、中学3年時には全国中学校柔道大会女子57kg級で堂々の表彰台に。だが全国3位という輝かしい結果にも、染宮さんの表情はどこか浮かない。「優勝以外は2位も3位も1回戦負けと同じ」と勝負へのこだわりが強いがゆえに満足できなかったと明かす。

【次ページ】 中学時代にパリ五輪代表・高市と対戦

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#角田夏実

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